3000本のヒットよりも尊いもの 「国民的英雄」と呼ばれるロベルト・クレメンテの最後の旅 (2ページ目)
1972年12月31日深夜、ニカラグアに向けて飛び立つも、離陸直後、機体は漆黒の大西洋へと墜落し、その生涯に幕を下ろした。
メジャーリーグは彼の勇気ある行動を称え、前年に創設された『コミッショナー賞』を、社会貢献活動に最も尽力した選手に贈る『ロベルト・クレメンテ賞』へと改称した。
その献身から半世紀──。メドラノが教えてくれたように、2022年12月、ニカラグア政府はクレメンテを「国民的英雄」として公式に認定した。自らの出身国ではない異国で、英雄と称えられる。その事実は重く、そして限りなく尊い。
クレメンテの生き様は、アメリカやカリブ海地域、中米の野球選手たちだけでなく、一般市民にまで大きな影響を与えた。そして多くは語られないものの、じつは日本の野球選手たちも、知らず知らずのうちに彼の影響を受けているのではないか。
昨年、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平が全国の小学校にグローブを寄贈し、大きなニュースとなった。その大谷の行動もまた、クレメンテの志の延長線上にあるような気がしてならない。
昨年の冬、プエルトリコとニカラグアを巡り、クレメンテの足跡を辿る旅に出た。現地で出会った人々の言葉を、丁寧に紡いでいきたい。
また、旅の前後には、私が所属するドラゴンズの選手たちにも話を聞いた。ある者は意識して、またある者は無意識のうちに、クレメンテの志と共鳴し、社会奉仕を行なっている。彼らの言葉を拾い、ひとつの線とすることが今回の目的だ。
【クレメンテと対戦した唯一の日本人】
2024年12月初旬、出国を前にしてどうしても話を聞いておきたい人物とのアポが取れた。日本人メジャーリーガー第1号の村上雅則氏だ。
なにしろ村上氏は、日本人選手として唯一、クレメンテと対戦し、グラウンドで言葉を交わした人物だ。さらに後述するが、引退後は多岐にわたるチャリティ活動にも精力的に取り組んでいる。その根底には、クレメンテとの出会いがある。
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