検索

3000本のヒットよりも尊いもの 「国民的英雄」と呼ばれるロベルト・クレメンテの最後の旅 (3ページ目)

  • 加藤潤●文 text by Kato Jun

 都内某ホテル内のカフェで、村上氏に会った。

「最近はいろいろと立て込んでいてね。一昨日は仙台に行ってきたところなんだよ」

 齢80を過ぎているにもかかわらず、なんとも元気な姿で現れた。17年前に北海道日本ハムファイターズのOB会でお会いした時に受けた印象と変わらない。

「マーティ・キーナートのお別れ会に出てきてね。じつは(2001年に)"9・11"のテロがあったあと、被害に遭われた方へ義援金を送りたいと思って、チャリティゴルフをしたんだ。でも、どこを通せばいいのかわからなくて......それでマーティを頼ったんだ。彼を通して、MLB事務局にお金を送ったんだ」

 東北楽天イーグルスの初代ゼネラルマネジャーを務めたキーナート氏は、真の意味で野球を通じて日米の架け橋となった人物のひとりである。村上氏は、そのキーナート氏の協力を得て、テロの被害者に義援金を送ったという。

 お会いして早々、貴重なエピソードを聞かせてもらった。

 今回インタビューするにあたり、無理をお願いして、クレメンテの直筆サイン入りの色紙を持参していただいた。貴重なその色紙を、実際に目の前で見せていただくことができた。

「この色紙をね、ピッツバーグでオールスターがあった時に持って行ったんだよ。向こうの人に見せたら、はじめは人の名前が入っているから価値がないって言われたんだ。でも"ファーストジャパニーズピッチャーだよ"と言ったら、$4000の価値がある、なんて言われてさ。

 ほかにも中南米諸国の領事会に行ったことがあってね。ドミニカ共和国、キューバ、ベネズエラにメキシコ、そしてニカラグア。彼らにこの色紙を見せたんだ。するとニカラグア大使がこのサインを額から取り出して写真を撮りたいと。仕舞いには『オレの部屋に飾る』なんて言い出してね」

 このサイン色紙一枚を巡ってなんとも豪快なエピソードがあるものだ。このまま楽しい話を聞き続けていたい誘惑を抑え、本題に入る。クレメンテとの出会いの場面を振り返ってもらった。

つづく>>

ロベルト・クレメンテ/1934年8月18日生まれ、プエルトリコ出身。55年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビューを果たし、以降18年間同球団一筋でプレー。抜群の打撃技術と守備力を誇り、首位打者4回、ゴールドグラブ賞12回を受賞。71年にはワールドシリーズMVPにも輝いた。また社会貢献活動にも力を注ぎ、ラテン系や貧困層の若者への支援に積極的に取り組んだ。72年12月、ニカラグア地震の被災者を支援する物資を届けるため、チャーター機に乗っていたが、同機が墜落し、命を落とした

著者プロフィール

  • 加藤 潤

    加藤 潤 (かとう・じゅん)

    1974年生まれ。東京都出身。中日ドラゴンズ通訳。北海道日本ハムファイターズで通訳、広報、寮長に就いたのち、2011年から現職。シーズン中は本業をこなしながら、オフには海外渡航。90ヶ国を訪問。稀に文章を執筆。過去にはスポーツナビ、中日新聞、朝日新聞デジタル版に寄稿。またコロンビアのTV局、テレメデジンとテレアンティオキアに話題を提供。現地に赴き取材を受ける

フォトギャラリーを見る

3 / 3

キーワード

このページのトップに戻る