「クレメンテと話さなければ、今の活動はなかった」 村上雅則が知った「社会のために生きる」という使命 (3ページ目)
ニカラグアにあるマサヤ球場内に掲げられたクレメンテ一家の写真 photo by Kato Junこの記事に関連する写真を見る 1990年代後半、野茂英雄とともにロサンゼルス・ドジャースのローテーションを支え、5年連続で二桁勝利を挙げた元メジャーリーガーの韓国人投手は、東日本大震災が起きた2011年、NPBのオリックス・バファローズに所属していた。その彼が、日本人選手に先駆けて義援金を寄付したのは、地震発生からわずか5日後の3月16日のことだった。
朴が寄付をしたことをきっかけに、多くの日本人選手がまるで堰(せき)を切ったかのように続々と義援金を寄付した。村上氏は、母国で起こった災害に対し、最初に支援を表明した選手が日本人でなかったことを嘆いた。しかし、東日本大震災が日本人選手の意識を変えるひとつのきっかけとなったことは間違いないだろう。
「いまの選手がチャリティをすることに対して、彼らの親世代には『あの野郎、いい格好しやがって』なんて思う人は、まだ多いんじゃないかな。実際、自分が始めた頃は周囲から散々言われたからね。でも、ダルビッシュ(有)や大谷(翔平)のように、日本の選手たちもチャリティに取り組む人が増えてきたのはいいことだよね」
社会貢献に対する意識の高い現役選手が増えている現状を喜びつつも、彼らの親世代の余計な干渉を懸念する村上氏は、選手にとって理解ある祖父母世代の代表とも言えるだろう。
【一度きりの会話が人生を変えた】
このあと話は少し横道にそれ、盟友であったメイズとの関係や、なぜサンフランシスコ・ジャイアンツが田中賢介以降、日本人選手を獲得しようとしないのかといった、楽しい話が続いた。
「賢介には『37番は永久欠番だぞ!』なんて言ったことがあるね。あの番号はオレのものだったからね」
なんとも愉快な脱線だ。インタビューの予定時間が終わりに近づくと、最後にひとつだけ質問をした。
「もしクレメンテの家族がここにいるとしたら、何と言葉をかけますか?」
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