「クレメンテと話さなければ、今の活動はなかった」 村上雅則が知った「社会のために生きる」という使命 (2ページ目)
メイズは、かつてのチームメイトについての話を村上氏にしていなかったようだ。すでにリーグを代表する選手となっていたクレメンテは、アジアから来たぽっと出の若者に「知らねえよ」と言われても気にすることなく、次の言葉を村上氏に贈った。
「大きくなって、人生に余裕ができたら、おまえも社会貢献活動をやったらどうだ? オレはやっているんだよ」
村上氏とクレメンテの対話はこの一度だけ。長い時間をかけて話し込んだわけでもない。それでもクレメンテから投げかけられた言葉は強く心に残っていた。
【50歳の節目に始めた社会貢献】
50歳を迎えた時、夫人の友人の誘いがきっかけとなり、知的障害のある人たちのスポーツ参加を支援する「スペシャルオリンピックス」への寄付を始めた。その友人とは、細川護煕元首相の夫人・佳代子氏だというのだから、奥様も顔が広い。佳代子氏は、スペシャルオリンピックス日本の名誉会長だ。
そしてチャリティはゴルフコンペという形で行なわれ、ラウンド後には著名人が寄付した品がオークションにかけられる。自らの趣味に社会的な意義を持たせることこそ、長く続けられる秘訣なのだろう。
スペシャルオリンピックスへの支援を始めて10年の節目に、村上氏はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)協会へのサポートも開始した。一度始めた支援を中途半端に終わらせるわけにはいかないと、資金的な目途が立った段階で、同協会へ寄付を始めたのだ。以来、村上氏は両団体に対して、今日まで継続して支援を続けている。
日米の文化の違いを肌で感じてきた村上氏は、日本における慈善活動への理解の浅さを嘆いている。その一例が、東日本大震災直後の出来事だ。
「震災のあと、最初に寄付を申し出た選手が誰だか知っているかい? 朴賛浩(パク・チャンホ)だよ」
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