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【高校野球】0対7からの大逆転、宿敵・帝京撃破、そして涙の初甲子園...小倉全由と「下町の暴れん坊」が起こした夏の奇跡 (5ページ目)

  • 新田光●文 Hikaru Nitta

1997年から母校の指揮を執り2度の全国制覇を達成した小倉全由氏 photo by Sportiva1997年から母校の指揮を執り2度の全国制覇を達成した小倉全由氏 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る 寺島は卒業後、ふとした時に「あの頃、監督さんはまだ28歳だったんだよな」と思い返すことがあるという。主将になってからは、折に触れて「寺島、これどう思う?」と意見を求められた。いつも選手のことを第一に考え、真正面から向き合ってくれた。その姿勢は、今も寺島の胸に深く刻まれている。

「監督さんと出会えて、本当によかったです」

 寺島は、感謝の思いをかみしめるようにそう振り返った。

 小倉に「5年間は長かったですか?」と尋ねると、「あっという間でしたね」と返ってきた。

「3年目に初めて決勝まで進んで負けた時、自宅で『俺は一生、甲子園に行けない監督なのかな』と、泣きながら妻に弱音を吐いたことがありました」

 すると妻は、「初めて行った決勝で負けたくらいで何を言ってるの!」と叱咤激励してくれた。その支えには、今も心から感謝しているという。

 そして、小倉はこう続けた。

「自分は帝京の前田さんに育ててもらったと思っています」

 打倒・帝京という大きな目標があり、前田三夫という偉大な背中を追い続けたからこそ、就任5年目で甲子園初出場をつかむことができた。

「初出場が一番ですね。絶対に忘れない。『俺が』じゃなくて、『こいつらと戦ったんだ』っていう気持ちです」

 就任5年目、28歳の青年監督と「下町の暴れん坊」と呼ばれた選手たちがつかんだ甲子園初出場。その栄光は、勝利の数やベスト8という結果以上に、ともに泣き、ともに笑い、ともに宿敵へ挑み続けた仲間との日々として、小倉の胸に今も鮮やかに刻まれている。

(文中敬称略)

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