【高校野球】0対7からの大逆転、宿敵・帝京撃破、そして涙の初甲子園...小倉全由と「下町の暴れん坊」が起こした夏の奇跡 (4ページ目)
後日、この話を田村に伝えると、「1年生だった自分との会話まで覚えていてくれているんですね」と驚いていた。40年以上が過ぎた今でも、部員との何気ないやり取りや当時の練習風景を鮮明に覚えている。その記憶力のたしかさと、一人ひとりの選手を大切にする姿勢こそ、多くの教え子たちから卒業後も慕われ続ける小倉の魅力なのだ。
新聞には、<関東一 泣いた 泣いた>の見出しが躍っていた。同じ日に久しぶりの甲子園出場を決めた銚子商の斉藤一之監督と並んで掲載されたことも、小倉にとってはうれしかったという。
甲子園へ出発する日は、新小岩駅で盛大な祝勝会が開かれた。
「江戸川区長も先頭に立って応援してくれましたし、商店街の皆さんの声援もうれしかったですね。下町の温かさを実感しました」
甲子園では、「いつ負けたっていいんだ。思いきってやれ」と選手たちを送り出した。その言葉どおり、関東第一は強打を武器に花園(京都)との初戦を突破すると、國學院栃木、日立一(茨城)を次々と撃破。準々決勝で東海大甲府(山梨)に逆転負けを喫したものの、堂々のベスト8入りを果たした。
寺島や塩田らは、この甲子園をきっかけに東海大甲府や國學院栃木の選手たちと親交を深め、40年以上が経った今も交流が続いているという。準々決勝の9回、逆転タイムリーを放った東海大甲府の小板橋則之はこう語る。
「小倉監督と寺島たちを見ていて、本当にうらやましかったんです。甲子園に初出場したチームの監督と選手って、こんなに強い絆で結ばれるものなんだなって......」
【前田さんに育ててもらった】
小倉は当時を振り返り、「塩田がこのチームの副主将だったことも大きかった」と語る。
塩田は高校進学の際、一度は別の高校への進学を希望していた。しかし、縁があって江東ライオンズ時代のチームメイトとともに、地元・関東第一へ進学した。
「関東第一に進んだからこそ、人生の師と巡り会えました。小倉監督に出会えたことで、今の自分があります。監督の教えがあったから、長く野球を続けることもできました」
塩田はそう語り、小倉への感謝の思いを口にした。
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