岡本和真は甲子園で予告ホームラン含む1試合2発 マウンドにも上がってサヨナラ負けを喫した (3ページ目)
智辯学園初の日本一へ──最後の夏、岡本は奈良大会の5試合で打率.556、3本塁打、14打点と、その打棒は一段と凄みを増し、再び甲子園に戻ってきた。そんな岡本を待ち構えていたのが、明徳義塾(徳島)のエース・岸潤一郎(現・西武)だった。
岸は得意球のカットボールを軸に、徹底した外角攻めで岡本へ向かってきた。第1打席は、ストライクからボールへ鋭く曲がるカットボールに空振りの三振。しかし第2打席ではそのカットボールを読み切ると、強烈なライナーのレフト前タイムリー。第3打席も、外のボールゾーンに流れるカットを左手一本で拾い、ライト前にポトリ。
「いいピッチャーが来たら長打の意識は完全に捨て、ヒット2本打てば自分の勝ちと思うようにしています」
この試合でもきっちり2安打を放つなど、対応力の高さを見せつけた。
ただ試合は智辯投手陣が明徳打線につかまり、4対10と大敗。岡本はこの試合でも7回途中5点ビハインドの場面でマウンドに上がったが、流れを止めることができず、8回に追加点を許して降板。
ちなみに、この時、岡本のあとに投げたのがレフトで先発出場していた1年生の村上頌樹(現・阪神)だった。今となっては"超豪華リレー"だが、当時そこに注目する者はひとりもいなかった。
岡本和真(おかもと・かずま)/1996年6月30日、奈良県出身。智辯学園では3年時に甲子園春夏連続出場。2014年のドラフトで巨人から1位指名を受け入団。1年目のシーズン終盤に一軍デビューを果たすと、プロ3打席目に初本塁打。18年は「6番・ファースト」で開幕スタメンを果たすと、6月から4番に抜擢され、史上最年少で「3割、30本塁打、100打点」を記録。20年から2年連続して本塁打と打点の二冠王に輝く。23年にはWBC日本代表に選ばれ、世界一に貢献。また、このシーズン自己最多の41本塁打を放ち、2年ぶりにタイトルを奪取した
プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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