岡本和真は甲子園で予告ホームラン含む1試合2発 マウンドにも上がってサヨナラ負けを喫した
今から10年前の2014年、岡本和真は甲子園で春2試合、夏1試合の計3試合を戦った。
1年秋から智辯学園(奈良)の4番に座り、2年時は1年間で48本塁打を量産。一気に高校野球ファン、マスコミ、プロスカウトの関心が高まり、そのなかで初の全国舞台となったのが、3年春に出場したセンバツ大会だった。
甲子園のマウンドも経験した岡本和真 photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る
【有言実行の予告ホームラン】
大きな注目のなかで迎えた初戦の三重戦。岡本の甲子園初打席は初回、二死走者なしの場面で巡ってきた。すると、フルカウントから相手左腕がインコースを狙って投げ込んだストレートが真ん中高めのボールゾーンへ。これを本人が常々、強く意識していると語っていた上半身と下半身の割れが効いたフォームで捕らえると、打球はセンター後方へ真っすぐに伸び、バックスクリーンで弾んだ。
第1試合の初回、春先のまだ肌寒い朝の甲子園に響くどよめきを耳にしながら、筆者は無意識のうちに「出来すぎ......」と呟いていた。センバツに向けた取材のなかで、岡本が「甲子園ではバックスクリーンにホームランを打ちたい」と語っていたからだ。
当時、この前年秋から積極的に智辯学園の試合を見に行くようになっていた。試合後、記者に囲まれた岡本はいつも「チームのためのバッティングを心がけています」「ランナーを返すバッティングをしたい」と繰り返していた。最終的に高校通算73本に到達したホームランの話題を向けられても、「まず率を残したいというのが一番で、ホームランはそのなかで打てればいい」と優等生発言に終始していた。
たしかに副主将を務め、チームへの思いが強い岡本の本心ではあった。一方で、センバツでの目標を尋ねてくる知り合いの記者に「甲子園で盗塁を決めたい」と返し、困った相手の反応を楽しむような、いたずら心を持った球児でもあった。
そんな岡本のバックスクリーンへのホームラン宣言。センバツ前に真意を尋ねたところ、「あれは......」とニヤニヤしながら説明してくれた。
「いつもコメントが地味なんで、(小坂将商)監督から『たまには大きいことを言ってみろ』と言われて、あんな感じになったんです」
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プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。