ドラ1候補・前田悠伍が明かす夏の異変からのV字回復「二段モーションにしたら明らかに変わった」

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

大阪桐蔭・前田悠伍インタビュー(前編)

 ドラフトを目前に控え、前田悠伍(大阪桐蔭)の表情は晴れやかだった。この夏、不調説が囁かれ、「前田はこんなものか......」と周囲の評価も厳しかった。だがU−18W杯できっかけをつかんだ前田は、国際大会で圧巻のピッチングを披露。「さすが前田」を強烈に印象づけた。いったい何が起きていたのか。

U−18W杯で日本の初優勝に貢献した大阪桐蔭・前田悠伍 photo by Kyodo NewsU−18W杯で日本の初優勝に貢献した大阪桐蔭・前田悠伍 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【W杯は最後のアピールの場だった】

── もしU−18のW杯がなく、大阪大会決勝に敗れたところで高校野球が終わっていたら、どんな気分でドラフトを迎えることになっていたと思いますか。

前田 もしあそこで終わっていたら、自分の力を十分アピールできないままでしたし、「ドラフトもどうなるんやろう」と不安な気持ちのほうが大きかったと思います。結果はどうなるかわからないですけど、今はやることはやったという気持ちです。

── それだけ、この夏は気分が晴れない日が続いていたと。

前田 W杯までは、ほんとにいろんな面で不安が大きかったです。

── 代表チームとして集まる直前に話を聞いた時、「最後のアピールの機会」と言っていました。結果はチームを初の世界一に導き、前田投手自身も満点の投球。大会はテレビ観戦していましたが、夏の大阪大会から大きな変化が2つありました。二段モーションとセットポジションにしたこと。二段モーションについて聞かせてほしいのですが。

前田 代表チームで集まって練習をした時、最初は夏までと同じ一段モーションで投げていたんです。でも、あまりよくなくて......それで国際大会は二段でもOKと聞いていたので、やってみようと変えたんです。国際大会の審判をされていたという方がその場におられて、見てもらったら『大丈夫!』だと。

── 実際、二段モーションは大阪桐蔭の練習の時にもやっていた。

前田 2年の夏が終わった頃に状態の上がらない時期があって、遊び感覚で二段にしたらしっくりきたんです。それから調子の上がらない時は、練習で二段を取り入れるようにしていました。

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プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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