ドラ1候補・前田悠伍が明かす夏の異変からのV字回復「二段モーションにしたら明らかに変わった」 (3ページ目)
── プロのスカウトは、二段で投げれば試合以上のボールがいくというのはわかっていた?
前田 そこまではわからないですけど、夏まではスカウトの方が来ている時は、だいたい一段で投げていたと思います。ワールドカップが終わってからは、普段のブルペンでもずっと二段で投げているので、それからはこれくらいのボールがいくというのはわかってくれていたと思います。
── スカウトとの面談で、「二段モーションで投げてからボールがよくなったね」と言われたことはありましたか。
前田 何度かありました。プロは二段モーションOKなので、この先、とくに何もなければセットポジションからの二段でいきたいです。
【選出してくれた馬淵監督に感謝】
── しかし、あらためて思うのは、同じ野球なのにカテゴリーによってフォームの解釈、ルールが違うということ。日本の高校野球はダメだけど、国際大会やプロ野球、メジャーはOKというのは......。
前田 そうですね
── それによって、ピッチング内容や結果も変わってくるだろうし、結果として進路に影響が出たり、フォームを崩したりすることもあるかもしれない。
前田 自分はそれで崩れたり......というのはなかったですけど。
── 両方を混ぜながら投げられること自体、すごいことだと思います。
前田 本来のフォームが、それだけ染みついているのかもしれないです。小中高とほとんど投げ方が変わっていないので、体が覚えているのかなと。
── あらためて、日本代表に選ばれ、納得のフォームで、納得のいくボールを投げることができたのは大きかった。
前田 大きかったです。代表に選んでいただいた馬淵(史郎)監督にも感謝です。夏の大阪大会で高校野球が終わっていたら、いま頃はもっと落ちつかない気分でドラフトを迎えていたと思います。最後に力を出せて、スッキリと高校野球を終われたのはほんとによかったです。
この記事に関連する写真を見る前田悠伍(まえだ・ゆうご)/2005年8月4日、滋賀県生まれ。小学2年で野球を始め、6年時にオリックス・ジュニアでプレー。中学時代は湖北ボーイズに所属し、1年時にカル・リプケン12歳以下世界少年野球日本代表として世界一を達成。大阪桐蔭では1年秋からベンチ入りを果たし、2年春のセンバツで優勝。同年夏は甲子園ベスト8。新チームでは主将に任命され、3年春のセンバツでベスト4入りを果たしたが、夏は大阪大会決勝で履正社に敗れた。U−18W杯では日本のエースとして、初優勝に貢献
著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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