難病の妻の自殺ほう助で逮捕、教員免職後に急逝...『野球の定石』を遺した知られざる名将・山内政治の信念 (4ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika

【彼の生きざまに魅せられた人々】

 山内氏の生涯については、2014年にたくさんの関係者の協力を得て1冊の本にまとめ、『幻のバイブル』(日刊スポーツ出版社)として発表した。この時に得た多くの証言から、当時の野球指導がとても先進的だったことがわかっている。

 全員そろってから始めるのでなく、来た者から練習をスタート。グラウンドには音楽が流れ、練習の前後には、心を整えるためにメトロノームを使う「黙想」を採り入れていた。

 集中力が上がるという理由から全員でガムを噛みながらミーティングをしたり、野球ノートも重要視してしっかりとまとめさせていた。今ではこうした練習法は当たり前のものもあるだろうが、山内氏の場合、20〜30年前のことだ。

 彼の指導の終盤には、「ゲームが始まった時にはその前にすべての指導が終わっているようなチームづくり。それが理想だ」とも言っていた。試合では敗れた相手チームの選手にそっと声をかけるなど、彼らしいエピソードが聞かれたことも印象深い。

 山内氏の地元・滋賀では、折に触れて彼の話題が出るという。その中心にいるのが、北大津で甲子園監督となり、現在、彦根総合を指導する宮崎裕也監督である。

 宮崎氏は言う。

「彼が生きていたら、滋賀の野球はきっと変わったと思う。指導者という枠にとどまらず、私は今もその人間性に魅せられています」

 山内氏は生前、自身の指導法を花にたとえて「忍冬(スイカズラ)」と表現した。「厳しい冬に耐え、初夏に花を咲かせる」という意味が込められ、花言葉は「愛の絆」「友愛」、そして「献身的な愛」。そのとおり、彼は生きた。

 秋の大会を終えたあとは、来春まで地道な練習の日々が続く。山内氏を偲びながら、すべての高校球児にこの言葉を贈りたい。

後編<「山内政治さんの野球は強烈で忘れられない」 壮絶な人生を送った名将のラストゲーム...宮崎裕也監督(彦根総合)が回顧>を読む


【プロフィール】
山内政治 やまうち・まさはる 
1959年、滋賀県彦根市生まれ。彦根東高から早稲田大に進学。1982年、早稲田大硬式野球部の新人監督を務め、東京六大学野球春季新人戦を優勝、同秋季リーグを優勝などの成績を収める。卒業後、母校を含む滋賀の3校の監督を歴任。2004年に妻・智子が化学物質過敏症を苦に自死し、その際に現場に一緒にいたことから自殺ほう助罪で逮捕される。多くの減刑嘆願署名が提出されるも、懲役2年2カ月・執行猶予3年の有罪判決を受け、教員を免職。2009年に49歳で急逝した。

プロフィール

  • 藤井利香

    藤井利香 (ふじい・りか)

    フリーライター。東京都出身。ラグビー専門誌の編集部を経て、独立。高校野球、プロ野球、バレーボールなどスポーツ関連の取材をする一方で、芸能人から一般人までさまざまな分野で生きる人々を多数取材。著書に指導者にスポットを当てた『監督と甲子園』シリーズ、『幻のバイブル』『小山台野球班の記録』(いずれも日刊スポーツ出版社)など。帝京高野球部名誉監督の前田三夫氏の著書『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新書)では、編集・構成を担当している。

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