「悲劇の右腕」の教え。木更津総合に好投手が生まれ続ける謎が解けた (5ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 千葉の高校卒業後は鈴木、早川、山下......と1学年ごとに好投手が連続して成長し、人材難と言われた今チームも野尻だけでなく、2年生の逸材右腕・根本太一が台頭してきた。彼らに共通しているのは、先輩から貪欲に学び、急激な勢いで成長したということだ。

 その流れを築いたのは、木更津総合の選手個人の「自立」を促す環境であり、そして類まれな指導能力を持った千葉貴央という存在だったに違いない。

 近い将来、指導者になるつもりはないのか? 千葉にそう問うと、意外にも「今のところ考えていません」という答えだった。

「選手としていけるところまでやりたいです。社会人でやりたいですが、公式戦で投げていないので、なかなか決まらなくて......。だからアメリカの独立リーグなど、海外で野球をすることも視野に入れています」

 千葉が選手にこだわる理由の一端には、恩師である五島監督への思いがある。

「2年夏の甲子園では僕のわがままで投げさせてもらったのに、まるで監督が潰したような言われ方をされてしまいました。肩・ヒジが痛かったのは小学生からですし、原因は自分にあります。このまま僕が出てこなければ、『監督が潰した』と言われ続ける。それは絶対に嫌なので、だからあきらめずにやれているんだろうと思います」

 桐蔭横浜大の齊藤監督は「投げられるようになれば大丈夫。(社会人は)どこもほしがるはずですよ」と見通しを語る。大学最後のシーズン、千葉がマウンドに立つ日は訪れるのか。そしてどんなボールを投げるのか。楽しみはふくらむばかりだ。

 そして何年、何十年先になるかはわからないが、選手生活をまっとうした千葉が指導者としてグラウンドに戻ってくることを願わずにはいられない。そうでなければ、日本野球の大きな損失になるはずだ。たとえ投げられなくても、千葉貴央という野球人が残した功績は、母校の後輩たちが身をもって証明している。

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