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中島佑気ジョセフはなぜ「キツい400m」を選んだのか 「200mのほうが楽しかった」その矢先に... (2ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi

【中学3年間は「成長痛」との戦い】

 最初は遊び感覚で始めた陸上だったが、小6の後半から中学に入学するまで、東京多摩地区の強豪チームである「KMC陸上クラブ」にも入った。

「全国で優勝する方を何人も輩出しているクラブです。もう昔のことなので(入った理由は)明確にわからないですけど、陸上をもう少し掘り下げてみたいっていう気持ちはあったのかなと思います。自分はまだそんなに速くなかったので、全国大会に行くような人は『雲の上の存在』でした」

 足は「速いほう」ではあったが、中島の才能が開花するのは、まだまだ先のことだった。

 中学に入学すると、「身長が高かったので、バスケ部からすごく勧誘を受けた」と悩んだが、結局は陸上部に入った。

 小学生の時には走高跳とハードルにもチャレンジした。中学では走幅跳を試したこともあったという。また、冬季は駅伝に駆り出された。短距離のみならず、さまざまな種目に取り組んだ時期だった。

 中学入学時に170cm程度だった身長は、一気に185cmぐらいまで伸びた。中学3年間は「成長痛」との戦いもあったという。

「アスファルトの上を走ると、ひざがめちゃくちゃ痛かったですね。だから、学校の外周を走るのが嫌いでした。普通にサボっていましたね(笑)。

 中学や高校の時はどちらかというと、『陸上自体が楽しい』っていうよりは、陸上部の人たちと仲がいいから一緒に活動していて楽しいなっていう感覚のほうが大きかった。走っていて疾走感は感じましたけど、陸上自体に楽しさはあまり見出してはいなかったです」

 そんな中島が真剣に競技に取り組むようになったのは、中学3年を迎える前の冬季練習にあった。当時のチームメイトから「リレーで関東大会、全国大会に出場するために、今年はお前もがんばれ」とハッパをかけられたことがきっかけだった。

「冬季練習を死に物狂いで、初めて真面目にやったんです。それで体力もけっこうついてきて、中3でやっと都大会でも戦えるぐらいのタイムを出せるようになりました」

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