箱根駅伝6区を坊主頭で爆走→ 一躍、時の人に 日体大・秋山清仁はなぜ「下りのスペシャリスト」になれたのか (3ページ目)
【箱根6区で2年連続区間賞を獲得】
続く4年時も秋山は6区を走り、区間賞を獲得した。3度の6区で一番印象深く残っている箱根駅伝は、どの学年の時だったのだろうか。
「4年生の時ですね。2年、3年の時は6区を楽しめたんですが、4年の時は初めてプレッシャーを感じました。前年に出した58分9秒という区間記録を超えないと失敗だと思われるんじゃないか、昨年なんであんなに走ってしまったんだろうとか、そういう気持ちが箱根が近づくにつれて大きくなったんです。過去2回は楽しんだだけで記録が出たんですけど、4年の時は楽しみつつ自分を超える計算をして、考えながら走っていたのですごく印象に残っています」
自ら6区を志願して走り、出走した3回中2回区間賞を獲得した。下りでは誰にも負けないというプライド、エリート選手ではない反骨心が秋山の気持ちを駆り立て、スペシャリストに押し上げる原動力になった。
「6区は、人生のなかで一番楽しめる場でした。箱根の空気感のなかで、あの下りの舞台というのは本当に唯一無二でした」
秋山は、6区を駆けることに全ての力を注ぎこんだ。同じ区間を走りそうな選手をリサーチし、研究し、下りの走りをイメージして練習に取り組んだ。勢いで山下りをしたのではなく、しっかり準備し、区間賞を獲るだけの努力を日常的にこなしてきたのだ。
だが、一方で6区しかない自分に不安を感じることもあった。6区を走った鈴木健吾(富士通・元神奈川大)や浦野雄平(富士通・元國學院大)らがその後、2区や1区など往路の主要区間で爆発した走りを見せると、嫉妬に近い悔しさを感じたのである。
「自分は6区だけ、山下り専門というイメージなんだろうなって。実際、トラックとかで結果を出していなかったですし、そういう舞台に身を置いて勝負していなかったので仕方ないんですが......」
だが、6区を3度駆けたことが秋山に大きなチャンスを与えてくれたのも確かだった。
「箱根を走ったことで競技力がめちゃくちゃ上がったというのはなかったですが、結果を出せたことで自分の価値を示すことができましたし、卒業後も競技を続けることができました。箱根で走り続ける夢をかなえられた経験と、走ったら想像以上の結果が出て、頑張って続けていれば夢はかなうという実体験ができたのはすごくよかったです。それが、今の僕の競技生活にも活きています」
後編に続く>>「なぜ義務感に追われながら走っているのか」マラソン秋山清仁は動画から刺激 MGCは「テレビに長く映ってアピールしたい」
著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。
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