【月報・青学陸上部】いま明かす田村和希の失速、下田裕太の激走の真実 (4ページ目)

  • 佐藤 俊●文 text by Sato Shun photo by Nikkan Sports/Aflo


「下田が見えた時はホッとしました。襷を渡す時、『任せろ』って下田が言ってくれたので、安心することができました」

 田村和はそこからあまり記憶がない。体が冷えて痙攣を起こし、点滴が打たれた。そして、救急車で病院に運ばれた。

「救急車の中は何も考えられなかった。ただ、つらかったです」
 
 そのころ、下田は湘南海岸を激走していた。8区は、下田にとって競技人生の転機となったところだ。昨年、出雲駅伝で駅伝デビューを果たし、箱根駅伝では8区で素晴らしい走りを見せ、区間賞を取った。まだマイナーだった下田を全国区にしてくれた場所である。

 今年は8区ではなく、距離が伸びた4区での出走を希望し、そこを走るイメージで練習をしてきた。しかし、最終的な区間エントリーでは4区に森田歩希(2年)が入り、下田は補欠だった。

「往路なら4区を走りたいとこだわってきたんですけど、出雲、全日本と自分の走りを考えた時、ここで走りたいと言える状態ではなかったですね。むしろ監督に『ここで走ってくれ』と言われた方が自分の力を発揮できる。そういう自分の心理状態やメンバー構成を考えると8区が妥当だと思っていました。だから、4区がダメでも気持ちが切れることはなかったです。8区で勝負を決めようと臨みました」

 下田は序盤から突っ込んだ走りを見せた。原監督からは「前半はゆっくりでいいよ」と言われたが、早稲田大とのタイム差が気になったので序盤からペースを上げた。途中の計測で2分9秒差になり、それからも早稲田大との距離がどんどん離れていった。下田は、田村和の遅れを取り戻したのである。

「田村は厳しい状態になったけど、粘って襷をつないでくれた。僕はこれまで出雲、全日本と田村に助けられた立場だったんで、田村がダメな時は僕が走る。それがチームだし、駅伝だと思います」

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