競輪・中石湊が語るGⅠ初出場への思いと紆余曲折の過去 母の苦労に報いるために努力した日々を明かす (4ページ目)
母への感謝の思いを語る中石 photo by Gunki Hiroshiこの記事に関連する写真を見る
【母への感謝】
中石にとって母親の存在も大きなモチベーションのひとつだ。中学まで大阪で育った中石は自転車競技のために函館に引っ越したのだが、それは簡単なことではなかった。母親と共に見知らぬ地で生活することになったのだが、中石はひとり親家庭だったため、金銭的な面も含めて母親の負担は大きかった。
「ロードバイクが25万円くらいかかりましたし、トラックバイクも25万円くらいしたので、めちゃくちゃお金がかかりました」
苦労を掛けているこの状況に、「母親には感謝しかない」と中石。怠ける気はまったく起こらなかった。
「高校に行ってから友達と遊んだのは入学式の後の1回だけ。そこから3年間は1回も遊んでいないです。ずっと自転車に乗っていました。強くならないと来た意味がないと思っていましたから」
中石は高校3年間、不退転の決意で自転車競技と向き合っていた。大森氏からの指導だけではなく、母親からの助言にも耳を傾け、「試合で緊張しすぎている自分を母親が見て、『大事な試合でもいつもどおりいったほうがいい』と言ってくれ、それをずっと心に留めていた」という。その言葉のおかげで今では緊張をコントロールでき、レースに集中して臨めている。
母親とは互いによく連絡を取り合う間柄だが、感傷的になることはないそうだ。ジャパントラックカップでの優勝にも母親からは「よかったね」といった具合。それでも中石は母親の思いを感じ、感謝の気持ちをなんとか形で表したいと考えている。
「たまに(競輪で)稼いだお金を仕送りしたりしていますが、渡しても使ってくれませんね。息子が稼いだお金を使いたくないんだろうなと思います。僕のためには使ってくれるんですが。そういう性格なので、お金ではないプレゼントが一番かなと思っています」
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