競輪・中石湊が語るGⅠ初出場への思いと紆余曲折の過去 母の苦労に報いるために努力した日々を明かす (2ページ目)
競輪と自転車競技の二刀流を目指す中石 photo by Gunki Hiroshiこの記事に関連する写真を見る
【初心者から約1年半で全国優勝】
中石が自転車競技を始めたのは高校から。それまでは陸上競技に励んでいた。「オリンピックに出たい」と、小学4年から短距離を中心に取り組み、陸上の強豪校である中高一貫校を受験して入学した。しかし、事はうまく進まなかった。
「中学2年でケガをしてしまいました。当時、自分の周りには強い人がいっぱいいましたので、このままやっていても自分が強くなれるとは思えなくなりました」
陸上競技での伸びしろに疑問を抱いていたときに頭をよぎったのが、小学2年のときに岸和田競輪場で見た競輪選手の姿だった。「速さと迫力に驚いて、そのことがずっと記憶に残っていた」という。そして競輪選手になることを夢見るようになった。
「自転車をやりたいと母親に話をしたら、『したいことが見つかったのなら、それを全力でやったほうがいい』と言ってくれて。それで知り合いを通じて、函館大谷高校を知りました。自転車競技をやったこともなかったし、どれだけやっても強くならないかもしれないのに、(函館に)行かせてもらいました」
中石は大阪の中高一貫校を途中で辞め、函館大谷高校に進学。そこからは自転車漬けの毎日を送った。入学当初は慣れない自転車に悪戦苦闘しながら、ロードでもトラックでも必死で先輩に食らいついていった。
そんな中石を指導したのが、現在の師匠、大森慶一(北海道・88期)の父親で、同校の自転車競技部のコーチである大森芳明氏(北海道・41期/引退)だ。自転車競技初心者の中石は、大森氏の指導を素直に受け止め、日々努力を重ねた。
「高校2年まではずっとすごく軽いギアで走っていました。僕はギアが重いとか軽いとか考えたこともなくて、試合会場に行ったら、『足のまわり方がおかしい』と周りから言われて気がつきました。高校2年までは基礎練習だけやって走っていましたね」
中石いわく、軽いギアで練習することにはいくつかのメリットがあるという。
「体づくりをしないで重いギアを踏むとヒザを痛めたりしますし、重くなればなるほどきれいなペダリングが必要になります。軽いギアでやることで、ペダリングもよくなりますし、心拍の部分も強化されました」
中石は、大森氏の下で来る日も来る日も自転車に乗り、少しずつステップアップしていくと、高校2年のインターハイ1kmTT(タイムトライアル)で全国優勝を果たすまでになった。
そして高校3年の春には、東京オリンピックに出場した新田祐大(福島・90期)に声を掛けられ、ジュニアカテゴリーの選手として国際大会に出場。ジュニアアジアトラック選手権のスプリントで優勝し、ケイリンでは準優勝、1kmTTでは3位となるなど、驚異的なスピードで階段を駆け上がっていった。
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