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競輪・中石湊が語るGⅠ初出場への思いと紆余曲折の過去 母の苦労に報いるために努力した日々を明かす (3ページ目)

  • text by Sportiva

アフロヘアがトレードマーク photo by Gunki Hiroshiアフロヘアがトレードマーク photo by Gunki Hiroshiこの記事に関連する写真を見る

【 "うまくいかない"をバネに】

 高校卒業後、中石は日本競輪選手養成所に入所する。目標は優秀な成績を収めることでひと足早く卒業&デビューができる「早期卒業」だった。世界でも戦う中石にとって、それは実現可能な目標だった。しかし、そう簡単には進まなかった。

 早期卒業には、5月と9月に行なわれる記録会でのタイムが判断基準となる。200m、400m、1000m、3000mのタイムを計測するのだが、中石は5月の記録会で3000mを、9月の記録会で1000mをクリアできなかった。

「だいたい僕はうまくいかない人生なんで。(5月の)第1回記録会のときは3000mを甘く見すぎていたし、練習もできていませんでした。早期卒業の可能性を自分からなくしていたと思います」

 結局、早期卒業の目標を達成できなかったが、それで気落ちすることはなく、高いモチベーションを維持し続け、約10カ月間の訓練を真剣に取り組んだ。その結果、在所中にナショナルチームのメンバーとしてアジアトラック選手権に出場し、1kmTTで銀メダル、チームスプリントで優勝するなどし、卒業時には国際賞を手にした。

 中石が「うまくいかない人生」と考えるようになったのは、デビュー後にも理由があった。

 養成所を卒業して最初に臨むルーキーシリーズで結果を残せず、さらに落車して骨折をするというアクシデントに見舞われた。その傷が完全に癒えない状態で7月のチャレンジデビュー戦を戦うことになってしまった。

 ただ、そこから圧倒的な強さを見せ、破竹の9連勝を飾ってA級3班からA級2班に特別昇班した。その後も順調に1着を重ね、17連勝まで到達。過去6人しか達成したことがない18連勝でのS級2班への特別昇級に王手をかけた。誰もが1着を疑わなかったそのレースで、まさかの3着に終わってしまう。

「いつもと違うレースをしてしまった感じがありました。仕掛けどころの判断ができていなかった自分が未熟だったということです。達成できなかったことは、そこまでの準備ができていなかったということ。練習してカバーすればもっと強くなれるなと思いました。まあ、自分はよくも悪くも何か起きる人生なんだなと思っています」

 やはり、ここでも中石はめげなかった。再び連勝を重ね、前述のように今年3月にはS級2班に特別昇級を果たした。

 そこから堰を切ったように、ナショナルチームでも結果を残すようになる。4月の香港インターナショナルトラックカップのケイリンで優勝すると、5月末のジャパントラックカップのケイリンでも優勝。6月のJICF国際トラックカップではケイリンで優勝し、男子スプリントで銀メダルを獲得した。「去年よりも安定して結果を残せている」と中石は手ごたえを感じている。

「とくにジャパントラックカップは全体的に成績を残せたのは大きかったですね。これまで決勝にはなかなか乗れなかったので、その意味で言うと自信になりました。まだまだ(ナショナルチームの上位陣に)追いついてはいませんが、昔の自分よりは成長できたかなと思います」

"うまくいかないのが当たり前。だったらうまくいくまで努力する" それが中石なのだ。

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