「本当にダメだった」最下層から若手期待の星へ 「大きい選手でないと活躍できない」を覆すガールズケイリン小泉夢菜の武器は150cm前半の体躯 (2ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro

 早稲田大学に進んでからは2年生でインカレ500mを制覇した。ここまでの結果だけを見れば順風満帆の歩みに見えるが、実は低迷期もあったという。

「日本代表という目標を実現したことで高校の後半はモチベーションが下がり、自転車がつまらなく感じてしまったこともあります。また大学では一人暮らしをするようになって食事の管理が自分でできず、1年生では競技力を大きく落としました。2年生でインカレを勝ちましたが、そこでも満足してしまい、本格的な練習から遠ざかった時期もあります。どちらも自転車が嫌いになったわけではありませんが、目標を達成したことで気持ちが切れてしまったんです」

 大学卒業にあたり、一度は一般企業への就職も考えたが、周りからの勧めと、なにより子供の頃から夢見ていたガールズケイリンへの思いは断ち切りがたかった。

「周りの優秀な人たちが就職活動でなかなか内定をもらえていなかったので、普通に就職活動をしても、『自分には無理かな、自転車しかないかな』っていう気持ちもあったんですよ」

 本人は照れながら正直な思いも口にする。こうして悩んだ末に、日本競輪選手養成所への入所を決めた。

【最下位グループからのスタート】

 大学までは華やかなキャリアだったが、養成所では力不足を痛感させられた。入った当初は訓練時の帽子の色は青。これは200mから2000mまで4つの距離の基準タイムをすべてクリアできなかった「スピード、持久力ともに劣る者」を指し、最下位グループを意味する。だが、そこからひたすら自分に向き合い続けた。

「自信があったのは高校までで、そこからは落ちていく一方だったと思います。養成所に入ったときの私は本当にダメでしたので、まずは自分の脚を作ることだけを考えて頑張りました」

 自転車に打ち込める環境で、小泉は浮上のきっかけをつかむべく、もがいた。その結果、養成所在所成績2位で卒業を果たすまでになる。そしてプロとして順調なスタートを切ったのは冒頭に記したとおりだ。

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