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選手を五輪に送り出せるのか。テコンドー分裂問題の今 (2ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko photo by Yamamoto Raita,AFLO SPORT,AFLO

■なぜテコンドー団体は分裂の歴史を繰り返しているのか?

 2000年シドニー五輪のテコンドーで銅メダルを獲得した岡本依子。紛争当事者、という言い方は彼女の場合には的確な表現ではない。選手選考に異議を呈したわけでも汚名を晴らそうと立ち上がったわけでもない。ただ自身とは関係のない紛争に巻き込まれて被害を被った側であったからだ。 2004年3月30日、強化遠征の合間を縫って日本に一時帰国した岡本依子はこの日よりたった4日間の滞在中にテレビ出演を40回、記者会見を3回こなしたという。10キロの過酷な減量に耐えながら国内選考会で覇者となり、アテネ五輪の出場権を獲得した彼女はしかし、競技団体の分裂騒動でその権利を剥奪されようとしていたのである。

 メディア露出は「アテネへ行きたい」という五輪出場への強い思いを訴え続けるためであった。世界と戦うための貴重な練習時間がそのことで削られることが何よりもつらかった。本来、選手を守るべき立場にある競技団体が逆に選手を苦しめた。

 なぜ、かような事態に陥ったのか。それを探るには、まず分裂の繰り返しとも言われるテコンドーの歴史から振り返らねばならない。

 この競技の成立は1954年に韓国陸軍の将軍チェ・ホンヒがそれまで自ら訓練してきた武道を「テコンドー」と命名したことが始まりとされている。イ・スンマン大統領時代から政治に近い人物をその出自としたこともあり、創設後も派閥の争いは頻繁に起こった。1966年に大韓テコンドー協会を退いたチェ・ホンヒは国際テコンドー連盟(ITF)を創設し、その総裁となるが、7年後の1973年にはカナダに亡命しトロントを本拠地としてしまう。

JTAの河明生会長JTAの河明生会長 韓国の指導者たちはここで独自の世界テコンドー連盟(WTF)を立ち上げる。すでにこの時点で国際組織がふたつの系統に分かれた。国際ルールもシステムも異なる中、それぞれに世界大会(WTFは1973年、ITFは1974年)を開催している。日本においてもITFとWTFの二派の団体が存在していた。

 なかにはITFから離れて新たなフルコンタクトテコンドーを提唱する河明生(かわめいせい)の日本テコンドー協会(JTA)のような独立独歩の団体も誕生した。JTAは「敢えてオリンピックを目標にするのではなく自分たちは武道の本質を追求したい」という意志から、独自の型を創造し、日本の歴史上の人物の名前(竜馬、武蔵、謙信など)を銘打って体系化をしている。

 経済学者でもあり、格闘技界の世界情勢にも精通する河の解説によれば「現在ITFは北朝鮮系、WTFは韓国系と考えることができますが、先祖帰りのように韓国にもITFの道場ができてきている」という。

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