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【プロレス】藤原喜明はアントニオ猪木との最後の一騎打ちに「ああ、やめちまうんだなぁ」 藤原組の活動停止と新日本復帰を振り返る (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【猪木との一騎打ちは「やっておかないと」】

 藤原は、8月2日から両国国技館で7連戦となった真夏の最強決定戦「第3回G1クライマックス」に参戦した。この年は日本人選手16人によるトーナメントで、藤原は1回戦で、大会を制した藤波辰爾に敗れた。

 1994年6月1日には、仙台市体育館で橋本のIWGPヘビー級王座に挑戦し敗れた。しかし、この年も「G1クライマックス」に出場し、武藤と公式リーグ戦で対戦し勝利した。"闘魂三銃士"との対戦で、藤原が将来を期待できた選手はいたのだろうか。その問いに、ひと言で答えた。

「そんなことは、言えない」

 新日本へ参戦すると同時に「藤原組」での自主興行を開催した。1993年6月1日には後楽園ホールで、空中正三(ミスター空中)の一周忌追悼興行を開催。さらに、この年の12月5日の後楽園ホール大会では、翌年の1月4日に天龍源一郎との初の一騎打ちを控えた猪木が登場し、石川と公開スパーリングを行なった。

 猪木とは、1994年4月4日に新日本の広島グリーンアリーナ大会で、石川と組んでタッグ(猪木のパートナーは馳)で対戦した。猪木はその約1カ月前に、近い将来の引退を表明しており、5月からは引退へのカウントダウンとなる「INOKI FINAL COUNT DOWN」を開始。藤原は、その第4弾となる1995年3月19日の愛知県体育館大会で一騎打ちを行なった。試合は、かつての道場でのスパーリングを思い起こさせる内容で、猪木が藤原を倒した。

「猪木さんのほうから『俺と試合をするか』と言ってきてくれたから、『喜んでお受けいたします』って返事したよ。その時に『あぁ、猪木さんもやめちまうんだなぁ......』と思ったな。最後になるかもしれねぇから、『やっておかないといけない』って思ったよ」

 白熱の内容は、主催した名古屋のプロモーターが絶賛したという。

「いい試合だったってほめられてな。『ヘタな外国人レスラーを呼ぶんだったら、お前に覆面をかぶせたほうがよほどいい』って言ってくれたよ。うるさい人だけど、ハッキリ物を言うほうでな。だから、あの言葉はうれしかったな」

 猪木と最後のシングル対決を行なった1995年は、藤原組の活動が事実上、停止した年でもあった。船木らの退団後に田中みのる(現・稔)、船木勝一(現・FUNAKI)、池田大輔、アレクサンダー大塚、米山サトシ(現・モハメド・ヨネ)らが入団し、それぞれ個性的な選手へと成長したが、11月19日の横浜文化体育館大会を最後に、藤原を除く全選手が退団したのだ。

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