日本ボクシング世界王者列伝:村田諒太 五輪王者からプロの世界王者へ 偉大な階級で偉大な王者と渡り合った歴史的功績
日本史上初めて五輪金メダリストからプロの世界王者となった村田諒太 photo by AP/AFLO
井上尚弥・中谷潤人へとつながる日本リングのDNAたち27:村田諒太
村田諒太(帝拳)が成し遂げた実績はすべて日本ボクシング界100年の宝物殿に献納すべきものである。この国に半世紀ぶりにボクシングのオリンピック金メダルをもたらした。五輪チャンピオンが、プロの世界王座のベルトを腰に巻いたのも日本史上初。しかも、世界のタレントが密集するミドル級という偉大な階級での快挙だった。
そして、なにより、長いボクシング史上でも屈指のハードパンチャーであり、現役でありながら名チャンピオンと呼ばれたゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)を日本に呼び、世界王座統一戦を行なった。村田の実力、知名度があってのこととはいえ、日本のボクシング・プロモーション史に燦然と輝く快挙であるのは疑いようのない事実である。(文中敬称略)
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【五輪金メダルからプロデビュー】
背後から押し寄せるプレッシャーに耐えながら、ひたすら高い望みを追いかけなければならなかった。村田諒太のキャリアを思い返すとき、どこまでも厳しいプロフェッショナルの掟とともに歩んだボクサーだと思いを強くする。運命は、最高に晴れがましい五輪チャンピオンになった、そのときから始まった。
2012年のロンドン五輪、たった7人しかいなかった日本の金メダリスト。オリンピックのボクシング競技では、1964年東京大会の桜井孝雄(バンタム級)以来48年ぶり、メダル到達も44年間もなかった。この栄光が村田自身の運命の一里塚になった。母校・東洋大学の職員として、ボクシング部の指導にもあたる26歳は、そのまま引退することも示唆していた。しかし、静かな隠居など周辺が許すはずはなかった。プロ側の猛烈なアプローチが始まる。
もともと、アマチュアボクサーであると同時に、熱烈なボクシングファンであったという村田の野心が激しく疼き出した。
2013年4月、三迫ジム所属としてプロ入りを発表する。強化とプロモーションは海外にも広汎なネットワークを持つ帝拳ジムが最初から責を負った(その後、正式に帝拳ジム所属となった)。プロの最先端技術に直にアクセスするために、本場ラスベガスでの武者修行、米国のリーディング・プロモーション、トップランクとも契約する。
何もかもが特別扱いだが、極めつきは同年8月25日、有明コロシアムで行なったプロデビュー戦。6回戦の対戦相手はなんと現役の東洋太平洋ミドル級チャンピオンの柴田明雄(ワタナベ)だ。柴田は地味ながらも堅調な技巧、巧みな試合運びに定評があった。さらに29戦、トータル150ラウンドを超える「プロ経験」もあった。仮に敗れた場合、金メダルの威光はおろか、村田自身の戦力への信頼すべてを失いかねない大胆なマッチメイクである。村田はオープニングゴングからパワー全開で戦い、その柴田を揉み潰すように2ラウンド、テクニカルノックアウトに仕留める。プロでの最初の試練を乗り越えた。
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著者プロフィール
宮崎正博 (みやざき・まさひろ)
20歳代にボクシングの取材を開始。1984年にベースボールマガジン社に入社、ボクシング・マガジン編集部に配属された。その後、フリーに転身し、野球など多数のスポーツを取材、CSボクシング番組の解説もつとめる。2005年にボクシング・マガジンに復帰し、編集長を経て、再びフリーランスに。現在は郷里の山口県に在住。


