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【プロレス】藤原喜明はアントニオ猪木との最後の一騎打ちに「ああ、やめちまうんだなぁ」 藤原組の活動停止と新日本復帰を振り返る (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【「猪木さんに命預けます!」】

 藤原にとって、"プロレス人生の故郷"とも言える新日本への帰還。1989年3月以来となる4年ぶりの復帰は、4月6日の両国国技館大会で明らかになった。

 師匠のアントニオ猪木がリングインし、ファンにこう訴えた。

「かつて多くの選手、私の弟子、選手が育ち、そして外へ旅立ってまいりました。そして、ひと回りもふた回りも大きくなって、再びこの新日本プロレスに帰ってまいります。姿三四郎の言葉にあります。『修業とは出直しの連続なり』」

 そして「オーイ! 出てこい!」と呼び込むと、藤原のテーマソング『ワルキューレの騎行』が鳴り響いた。スーツ姿で藤原が登場するビッグサプライズに、国技館は大歓声。リングに上がった藤原は、猪木と両手で握手し抱擁した。

 マイクを持った藤原は、「藤原でございます。猪木さんに命預けます!」と宣言し、5月3日の福岡ドーム参戦を表明した。大きなインパクトを残した新日本への帰還宣言。あのセリフは、事前に考えていたという。

「できるだけ短く、強烈なことを言いたかった。リングに上る前にちょっと考えて、『猪木さんに命預けます』って浮かんだんだ。とにかく、あんまり長くタラタラ言うのは嫌だったからな」

 藤原は、第一次UWFが経営に行き詰まった1985年12月も新日本へ復帰している。それから7年あまり。同じように古巣へ帰還することになった。

「多少の屈辱感は感じたよ。離婚した女とまた暮らすようなことだからな。ただあの時は、別のところよりも猪木さんのところに戻ったほうがいいのかなと思ったんだよ」

 両国国技館でのサプライズの翌月、5月3日の福岡ドームでの馳浩戦から新日本に本格参戦した。当時の新日本は、橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋の"闘魂三銃士"を中心に据えていた。新生UWFに移籍する4年前と比べて、新日本の変化を感じたという。

「あの3人を一生懸命持ち上げていたけど、俺が思うに、あの頃から新日本はダメになったような気がする。本人に聞いたわけじゃないけど、たぶん猪木さんもそう思っていたんじゃないかな」

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