【プロレス】藤原喜明が語るUWF移籍までの経緯 新日本プロレス退団時のアントニオ猪木の言葉に「俺は必要ない人間なんだ」 (3ページ目)
デビューから12年。新日本を退団する時は、猪木に電話で報告したという。
「『いろいろお世話になりました。UWFに行きます』と伝えたんだ。そうしたら、あの人は『ほかに誰が一緒に行くんだ?』って言ってな。その言葉を聞いた時、『あぁ......俺はあの人にとってどうでもいい人間なんだ。必要ない人間なんだ』と思ったな。それで、新日本をやめても誰にも迷惑をかけないなと思ったよ」
【藤原がUWFの先鋭的なスタイルを提案】
UWFは旗揚げシリーズを終え、新間は退社。団体は存続の危機に立たされたが、前田ら選手たちや、浦田を筆頭にしたフロント陣も団結し、運営継続を決断した。そんな状態で藤原が入団し、息を吹き返すことになる。
さらに吉報が続く。引退したタイガーマスクがおよそ1年ぶりに現役復帰。リングネームを「ザ・タイガー」と改め、UWFに参戦することが決まったのだ。
藤原の移籍初戦と、ザ・タイガーの試合は7月23日、24日の後楽園ホールに決まった。「無限大記念日」と名づけられた2日連続興行で、藤原は前田と組み、ザ・タイガー、高田と対戦。試合は藤原がジャーマンスープレックスホールドで高田を沈めて勝利した。
それ以降、UWFはロープワークをほとんど廃し、蹴りや関節技を主体にしたスタイルへと進化を遂げていく。「UWFスタイル」「格闘プロレス」と呼ばれた先鋭的なスタイルは、「無限大記念日」の前に行なわれた選手同士のミーティングで、藤原が提案したものだという。
「俺のなかでは、今までのプロレスと同じことやっても、ジャイアント馬場さんの全日本、猪木さんの新日本には絶対勝てないと思っていた。頭にずっとあったのは、試合前に俺らがスパーリングをやっている時の光景だ。記者連中がリングサイドに座って、それをずっと見ているんだよ。ある日、どこかの記者が『プロレスよりこっちのほうが面白いな』ってつぶやく声が聞こえたんだ。
だから俺は、会議で『俺たちは、そういうスタイルでいこう』って言ったんだ。みんなは『う~ん......』みたいな感じだったけどな。ただ、納得はしていたと思うよ。だからあのスタイルは、練習と同じことをお客さんの前でやってただけなんだよ」
UWFはカール・ゴッチが最高顧問に就任し、さらに新日本から木戸修が加入して戦力は増強した。一方で、ルールの問題、興行形式で選手間に溝が生まれていくことになる。
(敬称略)
つづく
【プロフィール】
藤原喜明(ふじわら・よしあき)
1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。
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