【プロレス】藤原喜明が語るUWF移籍までの経緯 新日本プロレス退団時のアントニオ猪木の言葉に「俺は必要ない人間なんだ」 (2ページ目)
【退団時に猪木にかけた電話】
そうして藤原が移籍を決めたUWFも、クーデターの余波で誕生した団体だった。1983年夏のクーデターで、猪木は社長を退任し、坂口征二も副社長の座を降りた。さらに専務取締役の新間寿は謹慎処分となったが、大株主で中継局であるテレビ朝日がこの降格人事の撤回を要求。わずか3カ月後に猪木は社長、坂口は副社長に就くことになった。
しかし、新間は退社に追い込まれた。猪木をマネージャーとして支え続けた新間は、自らの人脈を生かして新団体「ユニバーサル・プロレスリング(UWF)」を設立。1984年4月11日に大宮スケートセンターで旗揚げ戦を行なった。
旗揚げ前には、フジテレビがゴールデンタイムでの中継を検討している、猪木やタイガーマスクらが入団する、といった情報も出たが、いずれも実現には至らなかった。結果的には、新日本から前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬らが移籍するにとどまった。
4月17日に蔵前国技館で行なわれた旗揚げシリーズの最終戦では、メインイベントに藤原が派遣され、前田と一騎打ちを行なった。このUWF参戦が、2カ月後の電撃移籍につながったのか。
「あの試合は、猪木さんに『行ってこい』って言われただけだよ。裏に何があったかなんて、俺みたいな下っ端が知るわけないだろ。興味もなかったしな。まぁ、あの試合が移籍につながったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それは、勝手に考えてくれ」
ともにUWFに移籍した、当時の若手の有望株だった高田に関しては「そうだったっけ? あんまり覚えてねぇな。たぶん彼は、『こっちに来たほうが得だ』と思ったんじゃないの」と語った。ただ、移籍に際し、藤原が若手選手に声をかけたという情報もある。
「そんなもんデタラメだ。俺から声をかけたことは一度もねぇよ。そうやって引っ張ると、誰かの人生を狂わしちまうからな。ただ、UWFに行く前に、合宿所の食卓で箸を持って、若い選手たちの前で『こっちに倒れたら新日本。こっちだったらUWFだ』と言って箸を倒して、『あれ、UWFだな』ってなったのは覚えているよ。
だけど、誰かに『一緒に来い』と言ったことは一度もない。たったひとつ言えることは、他人は誰かの人生の責任を持てないということだよ。俺は自分の人生のために、UWFに移籍したんだ」
2 / 3

