【プロレス】付き人時代の藤原喜明が見たアントニオ猪木の弱気な一面、モハメド・アリ戦を前に「勝てるかなぁ」
関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(6)
(連載5:藤原喜明が振り返る、坂口征二と大物ルーキー・長州力の新日本プロレス入団「俺にジェラシーなんかあるわけがない」>>)
プロレスラー藤原喜明はサラリーマンを経て、23歳で旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、カール・ゴッチの薫陶(くんとう)を受け、道場で関節技の技術を磨き、新日本プロレス最強伝説の礎を築いた。
そんな藤原が激動の人生を振り返る連載の第6回は、付き人として目撃した伝説の試合、「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」について語った。
モハメド・アリ(左)を蹴りで攻めるアントニオ猪木 photo by 東京スポーツ/アフロこの記事に関連する写真を見る
【プロレスが最強を証明するための異種格闘技戦】
ストロング小林、大木金太郎との日本人対決に勝利したアントニオ猪木が、ライバルのジャイアント馬場が率いる全日本プロレスとの興行戦争を制すべく乗り出したのが、「異種格闘技戦」だった。「プロレスこそ最強の格闘技」と掲げた猪木は、ボクシング、柔道、キックボクシング、空手の選手と闘うことで、大衆の興味を惹こうとしたのだ。それと同時に、「八百長」と中傷されてきたプロレスの地位向上も目指していた。
「異種格闘技戦」は、アイデアマンだったマネージャーの新間寿がプロデュースした。第一弾が、1972年ミュンヘン五輪で柔道の無差別級、93キロ超級の2階級で金メダルを獲得した、オランダのウィレム・ルスカ。1976年2月6日、日本武道館で行なわれた試合で、猪木はバックドロップ3連発でTKO勝利を収めた。
ルスカはその後、プロレスラーに転向し、藤原も道場でスパーリングを行なうなど公私ともに親交を深めた。
「ルスカは運動神経が抜群によかったよ。地方巡業に出た時に、体育館のそばにグラウンドがあるとサッカーをやるんだけど、これがうまかったんだ。プールで泳いでるところも見たけど、速かったな。何をやっても万能だった。
スパーリングもやって、俺のことを認めてくれたよ。リングを離れても紳士で、いい男だったなぁ。ただ、ひとつだけ欠点があってな。それは、プロレスだけがヘタだったってことだよ(笑)」
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