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【プロレス】付き人時代の藤原喜明が見たアントニオ猪木の弱気な一面、モハメド・アリ戦を前に「勝てるかなぁ」 (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

【アリと闘った猪木は「バカ」】

 試合は15ラウンドで決着がつかず、判定に持ち込まれた。結果は、ジャッジとレフェリーの三者三様で引き分け。試合後、藤原は控え室で猪木の涙を見た。

「涙ボロボロこぼしてな。俺だけが見てたんだけど、『このまま控室にいるとヤバいな』と思って出たんだ。あの涙の意味? それは、勝てなかった悔し涙だろ。事情をよく知らない周囲は『捕まえていれば勝てたんじゃないか』とか言ってたけど、終わってからなら何とでも言えるだろ。あの悔しさは、猪木さんしかわからないものだよ」

 決戦の翌日、新聞各紙などマスコミは「世紀の茶番劇」などと激しく批判した。

「批判してたのは、闘いを知らないヤツらだよ。俺は声を大にして言うけど、あの試合こそ昭和最後の真剣勝負だ。猪木さんにとっても生死をかけた闘いだったし、世界チャンピオンのアリも負けたら大変なことになってたからな」

 今も語り継がれる伝説の試合から50年。藤原は今、思いを馳せる。

「こんなこと言っちゃなんだけど......猪木さんって、ハッキリ言って『バカだな』と思ったよ。だって、アリとなんて闘わなくてもいいんだから。そこに飛び込んでいくっていうのは、俺なんかにはわからない感覚だな」

 藤原の「バカ」という言葉には、温かさと敬意がこめられていた。そして目を細め、猪木への思いをあらためて打ち明けた。

「あの人はギャンブラーなんだよ。アリ戦はその最高地点。負ければすべてを失う。新日本の興行にも客が入らなくなるだろ? それなのにあの試合をやったんだ。今思えば、引き分けになってよかったよ。もしどっちかが勝ってたら、負けたほうの陣営から死人が出ていたかもしれない。そういう試合だったんだ」

 猪木とアリは闘いを終えたあと、親交を深めた。1998年4月4日、東京ドームで7万人を集めた猪木の引退試合にアリも来日。パーキンソン病に冒された体でリングに上がり、猪木と握手をかわした。

「俺が思うのは、ふたりにとってあの闘いは、お互いの人生において一番怖かった試合だったんじゃないかということ。そこを乗り越えると、『ありがとう』という感情が芽生えていくんじゃないかと。あの友情は、普通の人にはわからないだろうな」

(敬称略)

■連載7:アントニオ猪木がパキスタンで油まみれの男と対戦 藤原喜明が振り返る猪木の強運>>

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

【写真】 ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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