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【プロレス】藤原喜明が振り返る、坂口征二と大物ルーキー・長州力の新日本プロレス入団「俺にジェラシーなんかあるわけがない」 (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

 全日本は、世界最大のプロレス団体「NWA」からトップ外国人レスラーを招聘するルートを確保し、シリーズごとに豪華なレスラーが来日していた。そんなライバル団体に対抗すべく、猪木のマネージャーだった新間寿が考えた路線は大物日本人レスラー同士の対決だった。

 猪木は1974年3月19日、国際プロレスから引き抜いたストロング小林と対決。さらに同じ年の10月10日には、日本プロレス時代の先輩だった大木金太郎と対戦し、いずれも歴史に残る名勝負となった。藤原は猪木のセコンドとして両試合を見守った。

「あの試合? マスコミも客も盛り上がったけど、俺に言わせれば、猪木さんにとっては普通の試合だよ」

 小林、大木を破った猪木は、「プロレスこそ最強の格闘技」という信念のもと、それを追求していくことになる。そして、究極の一戦が実現する。1976年6月26日に日本武道館で行なわれた、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの「格闘技世界一決定戦」だ。藤原は猪木の付き人として、一部始終を間近で見ていた。

(敬称略)

■連載6を読む:付き人時代の藤原喜明が見たアントニオ猪木の弱気な一面、モハメド・アリ戦を前に「勝てるかなぁ」>>

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

【写真】 ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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