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【プロレス】藤原喜明が振り返る、坂口征二と大物ルーキー・長州力の新日本プロレス入団「俺にジェラシーなんかあるわけがない」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

「海外には行けなかったけど、不満なんかねぇよ。俺は旅ってもんが大嫌いでな。家にこもって盆栽やったり、絵を描いたり、焼き物を作っていたりするほうが好きなんだ。

 何をやるにも考えることが大好きでな。あの頃は、『道場でスパーリングをやって相手を極めるのに、もっといい方法はないか』って考えることが何よりも好きだった。海外なんか出されるより、道場で練習できたから大満足だよ」

【ブラジルの格闘家に抱いた怒り】

 坂口の加入、大物ルーキー・長州の入団のほか、新日本にはブラジルからの"留学生"も加わった。それは、柔術家で格闘家のイワン・ゴメス。ゴメスは1974年12月に新日本がブラジル遠征を行なった際、猪木に挑戦を表明し、そのまま来日して新日本に加わった。試合にも出場したが、猪木とは対戦することなく2年ほどで帰国。ゴメスとの思い出を聞くと藤原は顔をしかめた。

「猪木さんは、『テクニックがあるんじゃないか』と思って新日本に入れたんだ。俺も道場でスパーリングやったけど、大して強いとは思わなかった。蹴りも大したことはなかった。ただ、ひとつだけ、あいつのヒールホールドだけは使えると思ったな」

 ゴメスに関しては、リングを離れた時の態度が忘れられないという。

「あいつは、俺たちと同じ合宿所に住み込んでいた。ブラジルに手紙を出す時に、俺は面倒を見たりしてたんだけど、俺が猪木さんの付き人でカバン持ちをしてたからか、あいつはいい気になって、俺のことを自分の子分みたいに見るようになってな。だから、『テメェ、この野郎!』って言って、そこから口を利かなかったよ。

 俺はあくまで、猪木さんのカバン持ち。最初は、『はるか遠いブラジルから日本に来て大変だろう』と思って親切にしてたけど、とんだ勘違いしやがったんだ。猪木さんとあいつは戦わなかったけど、やる意味がないだろ? ゴメスが猪木さんとやっても客は来ない。俺たちはプロ。客を呼んでなんぼだからな」

 選手層が厚くなると同時に、リングも活況を呈する。猪木は、同じく1972年にジャイアント馬場が旗揚げした全日本プロレスに対し、激しい興行戦争を仕掛けていった。全日本は、土曜夜8時から日本テレビが中継していた。ゴールデンタイムで中継するプロレス中継がテレビ局の看板番組だった当時、両団体の争いは各中継の視聴率の争いでもあった。

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