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日本ボクシング世界王者列伝:八重樫東 14度の世界戦を戦い抜き「3階級制覇」を成し遂げた傷だらけの勲章

  • 宮崎正博●文 text by Masahiro Miyazaki

14回の世界戦を戦い抜いた八重樫東は、多角的な視点で強化方法を追求した photo by 山口裕朗/アフロ14回の世界戦を戦い抜いた八重樫東は、多角的な視点で強化方法を追求した photo by 山口裕朗/アフロ

井上尚弥・中谷潤人へとつながる日本リングのDNAたち25:八重樫東

 不屈の世界チャンピオン。その代表格のひとりが八重樫東(大橋)である。世界戦8勝6敗。王座から滑り落ちること3度。それでも心のうちに戦いの火を感じる間は、戦うことをやめなかった。プロ15年の間に打ち立てた3階級制覇の偉業は、まさしく傷だらけの栄光と言うべきものだった。

 今は大橋ジムのトレーナーとして後進の指導に当たる。現役時代に培った技術はむろんながら、懸命に取り組んだ肉体改造の理論は、今後その分野で第一人者と呼ばれるようになっていくはずだ。<文中敬称略>

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【考えるファイターの誕生】

「だから言ったでしょ。うちはチャンスがあれば、躊躇なく挑戦させるんだって。キャリアが浅いとか関係ない。ボクサーにとって大事なチャンスは2度と来ないかもしれないんだから」

 ひところ、大橋秀行・大橋ジム会長を取材するたびに説教された時期がある。「でも、試合経験を積むことも大事......」などと反論などしようものなら、「だから、八重樫を見なさいって。いまや立派な3階級制覇チャンピオンです」

 そんなやりとりのきっかけになったのは、八重樫の世界初挑戦前のことだったと思う。プロ5戦目で東洋太平洋ミニマム級タイトルを獲得。初防衛戦でも初回KO勝ちを収め、次戦でWBC世界同級チャンピオンのイーグル京和(角海老宝石)への挑戦が決定した頃だ(2007年6月)。アマチュア時代には強豪・拓殖大学で副主将を務め、インターハイ、国体優勝など十分な実績を持っていた八重樫にしても、イーグルはいささか荷が重い対戦相手に思えた。日本をベースにキャリアを積んだタイ人のイーグルは17勝5KO(1敗)と一見、怖さはないように見えて技術力が高く、パンチにもKO率以上の切れ味があった。そのとき、つい、「まだ、早すぎるんじゃ」と口が滑ったのかもしれない。

 その試合、八重樫はダウンを奪われた末に大差の判定で敗れる。偶然のバッティングによるものとはいえ、アゴを2カ所骨折してしまった。再び戦えるまで10カ月のブランクを要した。さらに再起2戦目にもきわどい判定を失った。キャリアはやはり暗雲で煙ってしまったか----。しかし、このふたつの敗北が、結果的に八重樫の成長力を促していくのだ。

 強くなるためには、ただ、練習の濃度を高くすればいいというものではない。『勝つために、今の自分に足らないものは何なのか』と考えてこそ、悔しい敗北からの進化は始まる。八重樫は、まさに考えるファイターだった。ボクシングスタイルはその後、少しずつ変化を見せていった。技巧を軸に戦い、時に執拗な攻めに転じる。ボクサーファイター型と分類されるのは以前と同じでも、どっしりと構え、堅実なステップからインサイドをつく。より攻防のあやを重視する戦い方へと変化していった。そのうえ、いざというときには、守ることをすっ飛ばして、猛烈な連打速攻に打って出るのだから、打撃戦好みのファンにはたまらない。一戦一戦、重ねるごとに人気を獲得していった。

 研究は技術、戦術のみにとどまらなかった。ボクサーに有用かどうか微妙とされてきたウェイトトレーニングに積極的に取り組んだ。八重樫をよく知る人物によると、有能なトレーナーたちから多角的に学び、やがて自分の強化の理論にさまざまな考え方を編み込んでいったのだという。いつの間にか、その体は筋肉の塊になった。後ろから見ると、長い物差し竿に服をぶら下げたまま歩く、やじろべえのように見えた。

 ここ10年ほどの間に、日本のボクシングは大きく進歩した。多くの有力ボクサーが、ジムでの通常の練習に加え、ウェイト、サーキットトレーニングでボクサーとして無駄なく、効果的な筋肉を養成してきたこともその要因のひとつと考えたい。八重樫こそはその走りではなかったかと思う。

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著者プロフィール

  • 宮崎正博

    宮崎正博 (みやざき・まさひろ)

    20歳代にボクシングの取材を開始。1984年にベースボールマガジン社に入社、ボクシング・マガジン編集部に配属された。その後、フリーに転身し、野球など多数のスポーツを取材、CSボクシング番組の解説もつとめる。2005年にボクシング・マガジンに復帰し、編集長を経て、再びフリーランスに。現在は郷里の山口県に在住。

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