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浅田真央「自分が五輪で滑っているんだ......」 史上初・トリプルアクセル3本を決めたバンクーバーへの軌跡

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第12回 浅田真央 中編(全3回)

 今年2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪では、団体戦を含め史上最多となる6個のメダルを獲得した日本フィギュアスケート。そんな偉大な功績は、これまでの日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩があったからこそのものだろう。

 2002年ソルトレイクシティ大会から2022年北京大会に出場した日本人フィギュアスケーターを振り返る本連載第12回は、2010年バンクーバー五輪、2014年ソチ五輪に出場した浅田真央を取り上げる。中編は、バンクーバー五輪でメダル獲得するまでの成長の軌跡をたどる。

初の五輪となった2010年バンクーバー大会ではつらつとした演技を見せた浅田真央 photo by Kyodo News初の五輪となった2010年バンクーバー大会ではつらつとした演技を見せた浅田真央 photo by Kyodo News

【アメリカに拠点を移し表現力を磨く】

 2006−2007シーズン、浅田真央はコーチをラファエル・アルトゥニアン氏に交代し、アメリカに拠点を移した。GPシリーズ初戦のアメリカ大会のショートプログラム(SP)で首位発進。「初めてスローな曲を使って不安もありましたが、ノーミスができてうれしかった」と浅田は話した。

 しかし、フリーは「気持ちに少し勢いがなかった」こともあり、冒頭のトリプルアクセルがシングルになっただけではなく、ミスが続き、最後には涙ぐんでいた。安藤美姫とキミー・マイズナー(アメリカ)に逆転され、合計171.23点で3位と悔しいシーズンインとなった。

 それでも、その1カ月後のGPシリーズ・NHK杯のSPでは、アメリカ大会でレベル3だったスパイラルとコンビネーションスピンをレベル4にする成長を見せ、自己ベスト更新の69.50点を出し、1位発進。

 フリーは最初のトリプルアクセルで着氷が乱れて減点となったが、その後のダブルアクセル+3回転トーループや3回転フリップ+3回転ループなどは確実に決める。合計を当時の歴代世界最高得点の199.52点として優勝し、GPファイナル進出を決めた。

 浅田は、アメリカを拠点にしたことに関して、「初めての男性の先生だし、外国人の方なので不安もありましたが、ステップからのジャンプや表現などいろいろ教えてもらいました。トリプルアクセルについても、ステップから入れるようになったのは成長だと思います」と笑顔を見せた。

 2006年世界ジュニア選手権以来のキム・ヨナ(韓国)との対決を「ワクワクしている」と話して臨んだGPファイナル。SP1位発進ながら、フリーではトリプルアクセルと後半の3回転ルッツが回転不足で転倒となり、SP3位のキムに逆転される2位に終わった。

 2週後の全日本選手権では、ガッツポーズを見せる演技だった。SP首位発進後、フリーで最初のトリプルアクセルを見事に決め、非公認大会ながら合計得点は初の200点超えとなる211.76点で、全日本初優勝を果たした。

「涙がワーッと出てきました。トリプルアクセルを今季初めてきれいに跳べたのはうれしかった。今季の世界選手権は日本開催なので、もっといい演技をして優勝したいです」

 その世界選手権ではSPで連続ジャンプにミスがあり、ノーミスで首位のキムに10点以上の差をつけられる5位発進になってしまった。「ほかの選手が自己ベストを出しているので、私も出さなければいけないと思って緊張しました」と演技を振り返った。

 それでも翌日のフリーは、自己最高の133.43点を獲得。SP1位のキムを逆転し、優勝の安藤美姫に僅差に迫る銀メダル獲得と、底力を見せた。

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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