浅田真央「自分が五輪で滑っているんだ......」 史上初・トリプルアクセル3本を決めたバンクーバーへの軌跡 (2ページ目)
【コーチ不在、足のケガ......逆境で見せた底力】
2007−2008シーズンもGPシリーズを連勝し、GPファイナルに進出した。しかし、そのSPではジャンプのミスが続き、最下位の6位発進となった。フリーでも序盤のジャンプで細かいミスを連発する滑り出しになったが、途中から立て直し、フリー1位の得点をマーク。キムには及ばなかったが、総合2位に入った。
浅田は涙を流し、その理由について「ホッとしたというか、疲れたというか、うれしかったというか......。いろいろなものがいっぱい詰まっていました」と語った。
そして全日本選手権は、SPで首位発進すると、フリーは最初のトリプルアクセルがシングルになったものの、その後は大きなミスもなく滑りきり、自身2回目の200点台となる205.33点で連覇を達成した。
「トリプルアクセルの失敗はすごく悔しかったですが、すぐにそれを忘れて、次のジャンプやスピンを頑張ろうと思えました。世界選手権ではパーフェクトな演技ができるようにしたいと思います」
だが、年が明けてから想定外の事態になった。前年12月からは国内の練習環境が整ったため、練習拠点をアメリカから日本に戻していたが、定期的に来日し、指導を受ける予定だったアルトゥニアンコーチから「四大陸選手権は責任が持てない」と連絡を受け、師弟関係を解消することになったのだ。それでも、コーチ不在で臨んだ四大陸選手権で、浅田は初優勝を果たした。
さらに世界選手権でも逆境での強さを見せた。四大陸選手権の2日後に左足首をねんざし、1週間強はジャンプの練習ができず、テーピングが取れたのは世界選手権直前だった。そんななか、フリーでは最初のトリプルアクセルの入りで転倒したが、その後は着実に滑り、合計185.56点。カロリーナ・コストナー(イタリア)をわずかに抑えて初優勝を飾った。
「トリプルアクセルの踏み切りがすっぽ抜ける転倒は初めてなので、もうダメだと思いました。でも、そこで逆に力が抜けて、次のコンビネーションジャンプがきれいに決まったので、そこから波に乗れました。失敗しても、あきらめずに頑張って、他のところで挽回しようと思ってできたのがよかったです」
コーチ不在になった2試合で優勝し、確かな実力を発揮した浅田。しかし、このシーズンから回転不足とルッツ、フリップのエッジの判定が厳しくなり、連続ジャンプの回転不足が増え、苦手にするルッツのエッジエラーが多かったことが不安要素になっていた。
翌2008−2009シーズンには、それ以前にも表現力アップのため、指導を受けたことのあるタチアナ・タラソワ氏をコーチに迎えた。フリーでトリプルアクセル2本を入れること、苦手とするサルコウを入れることに取り組み始めたが、シーズン初戦のGPシリーズ・フランス大会でSP、フリーともにミスを連発し、2位になったものの課題を残した。
次のNHK杯のSPでは課題をクリアし、3回転ルッツをエッジエラーなく跳んで首位発進。フリーは2本目のトリプルアクセルの回転不足以外はノーミスで滑り、2位に20点以上の差をつける191.13点で圧勝した。
さらにGPファイナルのフリーでは、女子史上初のトリプルアクセル2本を決めて合計188.55点とし、SP首位のキムを逆転して3季ぶりに優勝した。そして全日本選手権も3連覇達成と勢いづいていた。
しかし、3回目の世界選手権では苦しんだ。SPはシーズンベストの得点で3位だったが、首位発進のキムとは約10点差だった。フリーは2本目のトリプルアクセルが回転不足となって転倒し、後半の3回転フリップからの連続ジャンプでもミス。キムが浅田の持つ歴代世界最高得点を8点以上更新する207.71点で優勝し、浅田は大差をつけられて4位。シニアの国際大会で初めて表彰台を逃す結果になった。
世界選手権では悔しい結果になりながらも、世界国別対抗戦ではSPではシニアになって初めてトリプルアクセルを入れた構成をノーミスで滑りきり、キムが持つ歴代世界最高得点にあとわずかに迫る75.84点をマーク。そして合計は、公認大会で2人目の200点台となる201.87点を出した。
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