検索

スピードスケート・髙木美帆の引退で振り返る15歳で経験した初五輪と19歳での挫折

  • 折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

2009年、中学3年生でバンクーバー五輪出場を決めた髙木美帆 photo by Jun Tsukida/AFLO SPORT2009年、中学3年生でバンクーバー五輪出場を決めた髙木美帆 photo by Jun Tsukida/AFLO SPORT 金2、銀4、銅4──五輪で計10個のメダルを手にした髙木美帆(TOKIOインカラミ)が、今年のミラノ・コルティナ五輪後、スケート人生に幕を下ろす決断をした。

「引退を決めるにあたり、大きな出来事があったわけではなく、私のなかで少しずつ自分が求めるアスリート像になりきれていないと感じる時間が増えていました」

 引退発表から約1カ月後の4月6日、都内で行なわれた会見で決断までの経緯をこう話した。

「『スピードスケート選手やアスリートとしてどうありたいのか』と考える時間が、特にこの2年ぐらい増えてきたのが大きい(理由)かなと思っています。リザルトが少しずつ悪くなっていたり、タイムを伸ばせないことに対してフラストレーションが溜まっている部分もありましたが、それを8年前や4年前のような強い気持ちで、さらにもっと上に行こうと押し上げていく情熱みたいなものが少しずつなくなっているというのを感じていました。

 スピードスケートに対して本気になれてないというわけではなくて、自分のスピードスケートに対しての向き合い方が少しずつアスリートとしてだけではなく、人生の一部になっていると感じました。そう思った時に、私自身をここまで引っ張り上げてくれた"アスリートとして挑む時間"が減ってきているのであれば、今が退くタイミングなのかなと受け入れました」

【多くの支えがあって活躍できた】

 多くのメダルを獲得し、世界のトップで活躍してきた髙木は、謙虚に自分のスピードスケートを振り返る。

「私がラッキーだったのは、ジュニアの頃にスケート連盟のジュニアを育成するプロジェクトが始まり、私はちょうどそのど真ん中で最初から最後までそのサポートを受けられた世代のひとりだったことです。

 技術面だけではなく、体の使い方やケアも学ぶことができ、自分の体を扱うというのがどういうことなのかを学べたのは大きかったと思います。

 最終的に大きなケガなく世界のトップで戦えたのは、スケート連盟に関わっているトレーナーさんや医科学のサポートスタッフ、コーチの尽力のおかげだと強く感じています。そのサポートがあったからこそ、自分の技術を向上させるためのトレーニングを毎日積み上げることができました。自分のポテンシャルが高かったからというよりは、過ごしてきた環境が私のポテンシャルを最大限まで引き出してくれたのかなと今は感じています」

 あくまでも周りのサポートのおかげと語るが、やはり長い時間をかけて自分と向き合い、スピードスケートに打ち込んできたからこそ成し遂げられた偉業の数々だったことは間違いない。その姿勢は10代のころから変わらなかった。

1 / 3

キーワード

このページのトップに戻る