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スピードスケート・髙木美帆の引退で振り返る15歳で経験した初五輪と19歳での挫折 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

【怖さを感じた初めての五輪】

 2009年12月のバンクーバー五輪代表選考会に15歳で出場した髙木。1500mで優勝すると、1000mでも3位に入り、ともに五輪代表に選出された。彗星のごとく現れたスーパー中学生に、世間の注目は一気に集まった。

 経験したことのないプレッシャーのなかで髙木が経験した初めての五輪は、1000mで35位、1500mでは23位だった。小平奈緒らとともに代表になっていたチームパシュートでは銀メダルを獲得したが、出場機会がなかった。それについては「ここでメダルをもらわなくてよかったと思う」と冷静に話していた。

 五輪から約半年後の夏、高校1年生になった髙木は五輪での発言をこう振り返っていた。

「もし、パシュートでメダルをもらったとしても自分の力じゃないという思いもありました。『メダルを持っているということで、次の大会に対する意欲が落ちても......』という感じもありましたし、自分はまだまだだから、これでいいかなと考えていました」

 大舞台で戦う先輩たちの姿を間近で見て、大きな刺激とともに五輪の残酷さも知ったという。

「(五輪は)怖いですね。真剣にスケートに取り組んでいる人たちが、その大会だけに懸けて集まる場所だから、緊張するのは当たり前だし、それでも力を出さなければいけない。そういう場に立つ資格を考えれば、(これまで)夏はサッカーをやってから、(冬に向けて)スケートをしていたので、そんなに五輪に懸けていたわけではありませんでした。だから、今度五輪に行く時は、覚悟をしていかなければいけないと思いました」

 2010-2011年シーズンからは「経験を積みたい」と熱望してW杯にも参戦するようになった。だが、2012年と2013年は、世界ジュニアで総合優勝を果たしながらも、シニアでの戦いは厳しく、数回一桁順位にはなったものの、世界の壁を越えるほどではなかった。

 そして2014年ソチ五輪シーズンは、大学に入学して環境が変わったなかでW杯も下のBディビジョンで滑ることが多く、五輪代表を逃した。その時の思いを、のちにこう話していた。

「その時に感じていたのは、高校3年間は甘えていたな、ということでした。ソチ五輪をすごく意識していたとは言いきれないし、競技よりも学校を優先した時もあり、『どうにかなるんじゃないかな』という気持ちもあったと思う。だから、ソチ五輪の代表になれなかった時は、姉の菜那が選ばれたから悔しいではなく、『自分がやってきたことが足りなかったな』と気がつきました。ソチ五輪はまだ19歳だから、平昌五輪へ向けてやればいいという気持ちもどこかにあったと思う。だから、次の4年間は、平昌ですべてを出しきるんだという思いでやっていこうと考えました」

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