2014.05.05

川井一仁が明かす「忘れられないセナとのケンカ」

  • 川喜田研●インタビュー・構成 interview by Kawakita Ken

5月特集 F1 セナから20年後の世界

川井一仁が語るセナpart2

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 アイルトン・セナが新興チームのトールマンからF1にデビューしたのは1984年。その後、ロータス・ルノーでの2シーズンを経て、87年にホンダがロータスへのエンジン供給を開始。

 それが「セナとホンダ」という伝説の始まりとなる。一方、86年にホンダのモーターホーム運営スタッフとしてF1のパドックで働き始めた川井一仁氏は、同じく87年、中嶋悟のF1フル参戦と共にスタートしたフジテレビF1中継のレポーターへと転身。以来、日本のF1ファンに「川井ちゃん」と親しみをこめて呼ばれ、最も近い場所でセナの戦いを見つめ続けた日本人のひとりとなった。

 そんな川井氏にとって、セナは唯一の「カリスマ」であると同時に、F1の「同級生」という意識もあったという。

94年4月、岡山で開催されたパシフィックGPでのセナ photo by Paul Henri CAHIER/RAPHO/アフロ 僕が初めてセナと言葉を交わしたのは、たぶん86年のイギリスGPだったと思う。F1デビュー3シーズン目でロータス・ルノーのエース、当時の僕はホンダのモーターホームの管理を手伝っていた。

 ブランズハッチ(※注:イギリスのサーキット、当時のF1イギリスGPはシルバーストンとブランズハッチの隔年開催となっていた)の1コーナーはメインストレートから一気に下りながら右に曲がり込む、ジェットコースターみたいなコーナーで、その1コーナーで見ていたら、セナのブレーキングがものすごく安定していて、ともかく、同じロータスに乗るチームメイトのジョニー・ダンフリーズの危なっかしいブレーキングとはまるで別モノ。ヘルメットを見るまでもなく、どちらが運転しているのか言い当てられるぐらいだった。

 その時にすでにロータスとホンダの契約のハナシがあったのかどうかは思い出せないが、どういう理由か、セナがホンダのモーターホームに遊びにきたとき、直接、彼に聞いてみたんだ。「ねぇ、あの1コーナーは何を目印にしてブレーキングしてるの?」とね。そうしたら「1コーナー手前のマーシャルポスト目指して突っ込んで、ぶつかる直前にターンインすればピタリと理想的なラインに付けるんだ」と教えてくれてさ。それを聞いた後は、危ないからマーシャルポスト(コース係員が待機する小屋)の近くに立たないようにしたもんなぁ(笑)。