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スピードスケート・髙木美帆の引退で振り返る15歳で経験した初五輪と19歳での挫折 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

【強くなったきっかけと出会い】

 そんな髙木にとって幸運だったのは、2015-2016年シーズンからオランダ人のヨハン・デ・ヴィット氏が日本代表のナショナルオールラウンドチームのヘッドコーチに就任したことだった。

 ヨハンヘッドコーチが就任する前の2月に行なわれた世界距離別選手権では、姉の菜那や菊池彩花と組んだチームパシュートで初優勝を果たし、世界が見えたように思えたが、個人出場はマススタートのみで、ほかのふたりも個人種目は10位台。「自分たちが強くなった」と実感できる優勝ではなかった。

 だが、ヨハンヘッドコーチが就任後の2016年世界距離別のチームパシュートでは、W杯2勝で結果を残し警戒されたなかで、オランダに0秒19差の2位。さらにW杯ファイナルでは平地世界最高記録を更新し、オランダを下して種目別総合優勝を果たした。個人の1500mと1000mでもW杯総合は6位、10位と世界と戦える手応えをつかんだ。

 何が変わったのかと言えば、ヨハンヘッドコーチによるフォーム矯正などがうまく噛み合い、スピードアップしたことがひとつある。髙木もその変化を大きく感じていた。

「ヨハンが来てくれたことで、今までやってきたことがうまくつながってきました。昨季までは、集中しきれずに毎日を闇雲に過ごしていたように思いますが、今季は試合で結果を出すために練習するというのが明確に見えてきた。1000mや1500mをどう滑ればレースで100%出しきれるかという戦術的なものも考えられるようになったことで、以前より練習にも集中できるようになり、体の動きもしっかり感じられる。ヨハンからも常に何かしらの注意点を言われるので、些細なことから意識できているのだと思う」

 ここから世界で輝き続ける髙木の活躍が始まった。

後編>>髙木美帆が輝いた裏にあったスピードスケートと向き合い続ける難しさ

Profile
髙木美帆(たかぎ・みほ)
1994年5月22日生まれ。北海道中川郡幕別町出身。
中学3年生で2010年バンクーバー五輪に出場して以降、4大会に出場し、金メダル2、銀4、銅4の計10個のメダルを獲得。世界距離別選手権には7大会出場し、チームパシュートを含めて金メダル6個など、16個のメダルを獲得した。W杯個人種目では1500mで5季連続を含む6回の種目別総合優勝のほか、1000mでも3季連続総合優勝を果たしている。さらに世界オールラウンド選手権では、2018年に男女を通じて欧米人以外初の総合優勝を果たし、世界スプリント選手権でも2020年に総合優勝を果たして日本人初の世界選手権2冠を達成。多くの偉業を達成し、日本を代表する女子スピードスケート選手として活躍し続けた。

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