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【プロレス】棚橋弘至とはどんな男だったのか 長年取材する元東スポ記者が明かす素顔と、新日本で「モテ男」が受け入れられるまで (3ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【タブー視されていた学生プロレスから超スター選手に】

――棚橋選手は、柴田さんが主催したプロレス交流会にも参加したそうですね?

柴田:「棚橋が来る」となったら、参加者の数が一気に膨らんでしまいました(笑)。その交流会では、最初のうちは僕が棚橋を連れて各テーブルを回っていたんだけど、少ししたら自分からサッと動いてテーブルを回っていました。それに、ファンの顔や名前、長所や会話の内容まで覚えているんです。

 たとえば、「おばあちゃんが病気で心配」と明かしたファンには、次に会った時に「おばあちゃん、元気?」と気遣ったり、「受験勉強を頑張っています」と話した受験生のファンには「受験、どうだった?」と聞いたり。女性に対しては、髪の毛の質がいいとか、手がきれいとか細かいところに気づく。その気配りを生かしたファンサービスは、さすがに新日本をV字回復させた立役者ですね。

――レスラーとしてのオーラもすさまじいですね。

柴田:昔に、僕が番組収録の時間が空いた時に新橋を散策していたら、棚橋に遭遇したことがあって。新橋のように人が多い場所だと、選手によっては「大きいお兄ちゃんだな」という感じで、すぐにはわからないこともあるんです。でも、棚橋はひと目で気づく。アントニオ猪木さんや、佐山聡さんもすごかったですけど、棚橋も同じようなオーラを放っていますね。

――体づくりも、相当ストイックだと伺いました。

柴田:会食した時には、「引退したらフレンチトーストをたらふく食べたい。それまでは我慢」と、しみじみ話していました。栄養価の高いものは、体づくりのために頻繁には食べられないですから。あと、ベスト・ファーザー賞とベスト・ネクタイ賞を受賞した時に、選考委員の方と一緒に中華料理店で食事したんですが、その時も麺の量は半分でしたね。点心は全然食べず、杏仁豆腐も僕にくれました。特に若い頃は、相当に気をつけていた印象があります。

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