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【プロレス】棚橋弘至とはどんな男だったのか 長年取材する元東スポ記者が明かす素顔と、新日本で「モテ男」が受け入れられるまで (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――変わり始めた?

柴田:今では家族を大切にしているKENSOですが、若い時は彼もモテモテでしたからね。その頃、KENSOが道場に女性を連れ込んだのが会社にバレたんです。それで山本小鉄さんが「さすがにそれはまずい」ということで、KENSOを寿司屋に呼び出した。それで1対1で説教していたのに、なぜかKENSOは時計ばかり見てソワソワ。「彼女が待っているので」と、話の途中で帰ってしまったらしいんですよ(笑)。棚橋が"モテ男"のオーラを表に出し始めたのも、そんなKENSOの影響があったんじゃないかと思います。

――ちなみに、ご家族のお話はしますか?

柴田:たまに、目を細めて話してくれます。娘さんがいるんだけど、今はアナウンサーを目指して就活中らしいです。2011年の、テレビ朝日の野上慎平アナウンサーと八木麻紗子アナウンサーの結婚式には、棚橋が娘さんを連れてきていました。まだ小さくて。棚橋の膝に乗ったりしていましたけど、そういった場面でアナウンサーを見て、惹かれたのかもしれないですね。

 息子さんは大学でバンドを組んで、音楽活動に励んでいます。(棚橋が入場時にパフォーマンスで行なう)エアギターじゃなくて、本物のギターを弾いていますよ(笑)。あと、棚橋は仮面ライダーが好きで、作品に出てくるポーズやセリフを試合中に使ったり、コスチュームにも要素を取り入れたりするほどですが、息子さんも大ファンのようです。

――まさに「ベスト・ファーザー」ですね。

柴田:お子さんが小さい頃、運動会の保護者リレーに出場して棚橋が走った際に、棚橋コールじゃなくて、新日本コールが起こったそうです。「新日本プロレスのレスラーとして認知されているんだ」と、うれしそうに振り返っていましたよ。

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