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上谷沙弥が語るヒールターンと、中野たむとの敗者即引退マッチ「ここまで私を連れてきたのは間違いなくあの人」 (3ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――その気持ちが爆発したのが、2024年7月28日の札幌大会のメイン、舞華選手と刀羅ナツコ選手によるワールド・オブ・スターダム王座戦でしょうか。上谷選手は舞華選手のセコンドを務めていましたが、相手の刀羅選手の勝利をアシストしました。

上谷:そう。舞華さんが技を決めた瞬間、私は迷いなくレフェリーの足を引いてカウントを阻止してた。あれがすべての終わりで、すべての始まりだったね。いろんな感情がグチャグチャになって、「H.A.T.E」への加入を決めたんだ。

――まさかのヒールターンでしたね。

上谷:ヒールターンした直後、SNS上ではみんな「無理だ」「似合わない」とか言いたい放題。でも、逆に火がついた。言われたことすべてをエネルギーにして、全部をひっくり返してやるって心に誓ったよ。

――ヒールターンしてから約1年が経ちますね。

上谷:ベビーフェイスの頃は「ちゃんとしないと」「真面目でいなきゃ」って、どこか縛られていた自分がいた。でも、今は嫌われて当然。ヒールにとって、ブーイングは声援と同じ。嫌われるのが怖くなくなったから、自分のなかでリミッターが外れて、やっと自由にプロレスができるようになった。

 昔は代名詞だった空中技も、やってもいいしやらなくてもいい。悪いこともするし、メチャクチャやりたい放題。今が一番、"上谷沙弥らしい"プロレスができてるよ。

【「私が"闇"なら、中野たむは"光"」】

――2024年12月、中野たむ選手から念願の"赤いベルト"を奪取しました。

上谷:中野たむとはデビューの頃からアイドル活動も一緒で、"師匠と弟子"って関係だった。でも私は、5★STAR GPで戦った時に左ひじを脱臼したのを口実にして、「全部お前のせい。だったら、お前の大事なもの全部、私が奪ってやる!」ってなった。完全に言いがかり。試合では脱臼の記憶を思い起こさせるようにケガをしたふりして、油断させて赤いベルトを奪った。全部、私の思いどおりになったね。

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