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佐竹雅昭のための大会、K-1グランプリが初開催 無名のキックボクサーの拳に「痛ぇ! なんだこのパンチは!」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【あまりに痛かったシカティックの拳】

 周囲の期待と重圧。すべてを背負った1回戦は、2ラウンド45秒、1ラウンドから有効だった右ローキックでヘイズを倒し、準決勝にコマを進めた。相手は、出場選手のなかで最年長、38歳のシカティックだった。

 オランダのチャクリキジムに所属していたが、佐竹が同ジムへ練習に行った時にはシカティックはおらず、存在を認識していなかったという。しかし佐竹は当時27歳。11歳も上の相手だけに、スタミナでは勝てる自信があった。

「ブランコのことは知らなかったですし、試合前は『何とかなるかな』と思ったんですが......パンチがものすごく"硬い"んです。『痛ぇ! なんだこのパンチは!』と驚いて、『グローブに何か入れてるんと違うか?』と思うほどでした。あの痛さは、脳に響くというよりも、顔面を金づちで殴られたような痛さ。パンチをもらうたびに『痛い!』と思っているうちに負けていました」

 試合は3ラウンド45秒、左フックでのKO負けだった。

「あの試合で記憶にあるのは、痛かったことだけ。あれほど痛い思いをしたのは、ブランコのパンチだけです。すさまじい破壊力でした」

 シカティックは、決勝戦でアーネスト・ホーストを1ラウンドKOで沈め、栄えある第1回大会の王者になった。戦前の主役は佐竹だったが、日本では知名度が低かったシカティックが優勝したことが、逆に強烈なインパクトを与えた。

 佐竹は、第1回大会の衝撃をこう振り返る。

「当時、ヘビー級のキックボクシングで世界最強とうたわれていたのはモーリス・スミスでした。僕も格闘技オリンピック(1992年3月26日、東京体育館)でモーリスと対戦して、パンチの当て方がものすごくうまかったんです。

 その試合は、空手ルールとキックルールのミックス試合で引き分けたんですが、あの強いモーリスが準決勝で、当時は無名だったホーストにハイキックでKO負けしたんですよ。あれは衝撃でした。『世界には、自分が知らない強敵がまだまだいるんだな』と実感しました」
 
 大会は大きな反響を呼び、翌年に第2回大会が決定する。佐竹は、リベンジを期して参戦した。

(第10回:佐竹雅昭が振り返るK-1準優勝 23歳のピーター・アーツは「めちゃくちゃ強かった」>>)

【プロフィール】

佐竹雅昭(さたけ・まさあき)

1965年8月17日生まれ、大阪府吹田市出身。中学時代に空手家を志し、高校入学と同時に正道会館に入門。大学時代から全日本空手道選手権を通算4度制覇。ヨーロッパ全土、タイ、オーストラリア、アメリカへ武者修行し、そこで世界各国の格闘技、武術を学ぶ。1993年、格闘技イベント「K-1」の旗揚げに関わり、選手としても活躍する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組などでも活動。2003年に「総合打撃道」という新武道を掲げ、京都府京都市に佐竹道場を構え総長を務める。2007年、京都の企業・会社・医院など、経営者を対象に「平成武師道」という人間活動学塾を立ち上げ、各地で講演を行なう。

【写真】ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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