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元芸人の女子プロレスラー中島翔子が振り返る、「絶対に無理」と思ったプロレスに挑むまで

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

東京女子プロレス・中島翔子 インタビュー前編

 3月16日、東京女子プロレス春のビッグマッチ「GRAND PRINCESS '25」が大田区総合体育館で行なわれる。そこで中島翔子&ハイパーミサヲのタッグチーム「享楽共鳴」は、プリンセスタッグ王者である山下実優&伊藤麻希の「121000000=ワン・トゥ・ミリオン(通称ワンミリ)」に挑戦する。

 2月8日の後楽園大会、ハイパーミサヲと共に挑んだ第5回"ふたりはプリンセス"Max Heartトーナメント決勝戦を制し、ワンミリへの挑戦権を手にした中島翔子。山下と伊藤には2年前の第3回大会で敗れており、「その時の後楽園が、ずっと心の中でトゲのようになっている」と口にした。そのリベンジを誓う中島は芸人からプロレスラーになったが、その経緯や、"プロレスラーになった"と実感した試合について聞いた。

芸人からプロレスラーになった、東京女子プロレスの中島翔子 photo by Tatematsu Naozumi芸人からプロレスラーになった、東京女子プロレスの中島翔子 photo by Tatematsu Naozumiこの記事に関連する写真を見る

【初めてM-1を見て「芸人って面白い」】

――小さい頃は、どんな子供でしたか?

中島:保育園の時から戦隊ヒーローが好きで、特に『忍者戦隊カクレンジャー』に夢中でした。ほかの女の子のような人形遊びなどはやらなくて、「忍者の修行」と称して、自分に厳しくする遊びというか、とにかく身体を動かすのが好きでした。だから、一緒に遊ぶのも男の子が多かったです。

――何かスポーツはしていましたか?

中島:私は新潟県出身なんですが、体育やクラブ活動でスキーをやらなければいけなかったので、小学1年から中学を卒業するまでは、9年間はクロスカントリースキーをやっていました。

 本当にメチャクチャしんどくて、スキーが一番苦手なスポーツになりました。ただ、持久力はつきましたね。自分のことを「運動神経が悪い」と思っていたんですけど、上京してみたら意外とそんなことはなくて、子供の頃にスポーツをすることの大切さに気づきました。

――戦隊ヒーローに憧れていた女の子が、なぜ芸人を目指したのですか?

中島:中学時代は、芸人に対しての憧れはありませんでした。考えていた将来の選択肢はふたつ。ひとつは、戦隊ヒーローへの憧れの延長ですが、自衛隊に入隊すること。もうひとつは役者になることでした。

 自衛隊への入隊は、親と揉めて断念。それで、近所にあった進学校に進んで、演劇部に入部しました。お笑いと出会ったのは高校2年の時ですね。友達に「『M-1グランプリ』が面白いから見て」と言われ、たまたま劇団の練習から帰ってきたタイミングでテレビをつけたら放送されていたんですが、「お笑いって面白いな」と。

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【写真】 マーベラス 中島翔子フォトギャラリー

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