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元芸人の女子プロレスラー中島翔子が振り返る、「絶対に無理」と思ったプロレスに挑むまで (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――どのコンビが優勝したM-1でしょうか?

中島:NON STYLEさんが優勝した2008年です。でも、準優勝のオードリーさんが好きになりました(笑)。それまで全然テレビを見なかったのに、オードリーさんを追いかけるようにテレビを見るようになったんです。

 それでもまだ役者を目指していたんですが、高校3年になってからは大学受験のために、いったんお芝居を辞めることになって。それで学校がつまらなく感じたんです。学校をサボるようになり、受験勉強どころではなくなりました。

【芸人時代の苦悩と、プロレスとの出会い】

――高校に通う意味を見出せなくなったんですね。

中島:そうですね。そんな時に、吉本興業が全国規模で"高校生のお笑いコンクール"を開催しているのを知ったんです。名前は『M-1甲子園』、のちの『ハイスクールマンザイ』ですね。そこで優勝するとルミネで漫才ができたり、特待生として養成所のNSCの入学金が免除されたりしました。

 その影響もあって、受験勉強をサボっていた高校3年の夏、友達と「お笑いコンクールに出場しよう」という話になって。ますます学校に行かなくなりました。それで東京に行くと、小さなお笑いのコンテストがたくさんあった。そういう大会に出場するために、コツコツお金を貯めて、鈍行列車などでちょくちょく上京。そのうちに東京で、お笑いでつながった友だちがたくさんできました。

 プロの芸人を目指している高校生のコミュニティがあって、「卒業したら養成所に入る」という話を聞いて、私も養成所に気持ちが傾いたんです。それで大学進学はあきらめて、NSCに行くことにしました。

――NSCの何期ですか?

中島:2010年に入学した東京NSC16期生です。その前後の期にはブレイクした人が多くて、ひとつ上の15期生にニューヨークさんやおかずクラブさん、ひとつ下の17期生に空気階段やオズワルドがいます。

 NSC卒業後に、ヨシモト∞ホールやシアターDの舞台に上がりました。私がNSCに入る前まではテレビのオーディションもたくさんありましたが、2010年3月に『エンタの神様』、2011年9月に『あらびき団』が終了し、お笑いブームが落ち着いてしまって......。頑張りましたが、なかなか難しかったですね。

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