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元芸人の女子プロレスラー中島翔子が振り返る、「絶対に無理」と思ったプロレスに挑むまで (3ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――そんな厳しい芸人生活のなかで、どうプロレスと出会ったんですか?

中島:当時、旗の台にハイキングウォーキングのQ太郎さんがプロデュースしているバーがあって、時々バイトをしていたんです。そこの店長がプロレス好きで、とある団体の大会チケットをいただいて観戦したら面白かったんですよ。そこから、いろんな団体を観ました。

――そこから、プロレスラーになろうと思ったきっかけは?

中島:1回目の観戦でプロレスの魅力にハマって、店長に話したら「やってみればいいじゃん。絶対、無理だろうけど」と言われました。当時、私は21歳。女子プロレスラーは10代から練習生になるものと考えていたので、"20歳を過ぎた自分は遅すぎる"と思っていました。

 その頃は先輩芸人のイベントのお手伝いが多く、辞めるかどうか悩んでいて。コンビの相方も辞めてしまったけど、踏んぎりもつかないから、とりあえず契約更新はしようと。

 そんな時に東京女子プロレスがレスラーを募集しているのを見ました。応募資格の年齢は22歳まででギリギリセーフ。プロレスを始めるには遅いと思っていたし、"超人のスポーツだから絶対に無理だ"とも思っていたんですけど、募集の打ち出し方が"うちは文化系プロレスです"という感じで緩かったんです(笑)。それで、芸人をやっていたというキャラクターもあるから採用してもらえるんじゃないかと、履歴書を送りました。

【デビュー戦はガチガチ。そこから"中島コール"が起きるまで】

――正式デビューは2013年8月DDTプロレスの両国国技館大会ですが、その前にプレイベントがありましたね。

中島:2013年6月の、渋谷のプレイベント4回目から参加しました。当初は四角いリングではなく、体育の時間に使うようなマットの上でプロレスをしましたね。プロレスラーになった満足感はなかったです。

 2013年3月の末に、面接も兼ねた最初の練習があって、ちゃんと練習するようになったのは4月から。できる技がヘッドロックのみの状態で出場しました。でも、周囲からは「極める角度がキチンとしている」と褒めてもらいました。今でも角度は気にしてます。

――それから約2カ月後に正式デビューしましたが、プレイベントから進歩しましたか?

中島:全然進歩してませんでした(笑)。男子選手などは、しっかり技ができる状態になってからデビューしますよね? でも、私はドロップキックができなかった。どうしても両足が上がらなくて、片足でのキックが精一杯でしたよ。

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