プロレス衣装と覆面でアイドル活動をしていた辰巳リカは、「プロレスをやらせてください」と高木三四郎に直談判した (3ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by 林ユバ

 高校卒業後、音楽の道に進みたかったが、まずはお金を貯めようと地元のケーキ屋に就職。工房でチーズケーキを作る仕事をした。

「接客はちょっと嫌になってしまって、人と直接会わない裏方の仕事をしたいと思ったんです。中二病的なのもあって、『人間なんて......』という感じだったのかな。思春期は自分の好きな人としか関わりたくなかった」

 就職してからもスリーピースバンドを組み、3年間、趣味で音楽を続けた。バンドのメンバーにメジャー思考はなく、「このままずっと地元にいて終わるのかな」と思っていた矢先、エンターテイメントグループ『DPG』のメンバーオーディションを偶然見つける。募集要項にはこう書かれていた。「世間とプロレスする」――。

【プロレスは、ロックでエモーショナル】

「世間とプロレスする」。その意味はよくわからなかった。プロレスに対して、怖いイメージもあった。しかし当時、ももいろクローバーZがプロレスの演出を取り入れたライブやイベントなどをやっていたこともあり、そこまで抵抗はなかったという。

「バンド活動は好きだったけど、練習が嫌いで全然うまくならなくて。バンドでやっていくのは無理かなと思っていたんです。でも、得体の知れないグループで、歌ったり踊ったりするのはできるのかなぁと思って、当時は21、22歳くらいで年齢制限ギリギリだったし、ラストチャンスのつもりで挑戦しました」

 YUIの曲を弾き語りして、オーディションに合格。サブカル系の雑誌が好きだった辰巳は、きゃりーぱみゅぱみゅのような読者モデル路線でいきたかったが、用意された衣装はプロレスラーのコスチューム。覆面を被せられ、名前は「ケンドー・リリコ」になった。思い描いていたものとは違ったが、上京することも決めていたため後戻りはできなかった。

 2013年4月に上京し、DPGで活動する傍ら、秋葉原ディアステージで「ディアガール」として働き始めた。ディアステージは、アイドルやアニソン歌手を目指す女性たちが働くライブスペース兼バー。でんぱ組.incが活動拠点にしていたことでも知られている。辰巳の同期には、妄想キャリブレーションや、バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHIがいた。

「オタク文化がすごく好きで、ひとつのものにのめり込む熱量がある人たちにリスペクトがあるので、ディアステはめちゃくちゃ楽しかったです。私自身も働き始めて、でんぱさんに推しができました。ねむきゅん(夢眠ねむ)さんと、りさちー(相沢梨紗)さん。憧れの人と一緒に働けて、一緒に美味しい物を食べたり、ライブも観られたり、天国のような場所でした」

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