プロレス衣装と覆面でアイドル活動をしていた辰巳リカは、「プロレスをやらせてください」と高木三四郎に直談判した (2ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by 林ユバ

【「自分には何もない」から抱いた夢】

 辰巳は1991年、長野県に生まれた。育った団地の裏はすぐ山で、男の子とよく蜂の巣をつつきに行った。やんちゃで、走り回ってはよく転び、膝小僧に傷がない時がなかったという。運動が得意で、運動会ではリレーの選手に選ばれた。

 家族構成を聞くと、少し困った顔をして「お父さんは2人いました」という。辰巳が小学校1年生の時に両親が離婚。6年生の時、母が再婚した。2人目の父は、母と喧嘩をすると手を上げることもあった。辰巳と2個下の弟には興味を示さず、仲よくなれなかったという。辰巳が中学3年生の時、両親は離婚した。

 ちょうどその頃、シンガーソングライターのYUIが主演する映画『タイヨウのうた』に感銘を受けた。色素性乾皮症を患い、夜しか活動できないミュージシャンの少女と、彼女に出会った少年の純愛を描いた物語だ。

「私はそれまで生きてきて、これといって好きなものもないし、自分には何もないと感じていたんです。でも、その映画に魅了されて、『私も歌いたいなぁ』と思った。ゆくゆくは上京して、歌う仕事がしたいという夢を持ちました」

 中学校3年間、バレー部に所属する一方で、バンド音楽に夢中になった。ある時、ギターとベースとドラムで構成された曲が猛烈に好きだと気づいたのだ。最初の目覚めは、BUMP OF CHICKEN。先輩が合唱で『天体観測』を歌っているのを見て、いいなと思った。RADWIMPSも好きになり、どんどん音楽にのめり込んでいく。

 高校では軽音楽同好会に所属し、ギターを担当。ガールズバンドを組み、THE BLUE HEARTSのコピーをした。高校の近くにライブハウスがあり、定期的に出演。大学生たちと対バンするようになり、彼らの演奏をきっかけに銀杏BOYZやマキシマムザホルモンにハマった。

 まずはギターを練習するためにギターを担当したが、やはり歌が歌いたくなり、外部の掲示板でボーカル募集を探して応募。社会人の男性とバンドを組み、アニソンのカバーをやった。スタジオ代や機材を買うお金を貯めるため、アルバイトもたくさんやった。ファミレスのウエイトレス、スーパーのレジ打ち、巫女さん......。

「高校には馴染めなくて。友達はいるんですけど、バンドの子のほうが仲がよくて、年上の人たちといるほうが楽しかったですね」

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