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「龍原砲」がブッチャーの頭を蹴りまくり、T.N.T.も頑張った。ケンコバが興奮した1987年の全日本「ベストバウト」 (3ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

――その技とは?

「河津落としです。これを天龍さんは、落とした後に自分が頭から直立して、一回転するくらいの勢いでかけていた。相手を落とした後に自分がもんどりうって場外に落ちるぐらいの技で、『ヤバすぎる技や。殺しの技やん』と、この技の恐ろしさを再認識したんです。ちなみに俺の中で、その河津落としを見た日は『河津落とし記念日』と呼んでます」

――「サラダ記念日」みたいですね(笑)。

「ここで一句したためました。『天龍が 直立になってくれたから 今日は河津落とし記念日』」

――俵万智先生にも届けたい一句ですね(笑)。

「とにかく、俺は天龍&原vsブッチャー&T.N.T.から"龍原砲"をひいきして応援するようになりました。そういう意味でも忘れられない試合なんです」

――この試合以降、全日本の大阪府立体育会館でのはカードはよくなったんですか?

「それが、しばらくはよくならなかったんですよ。天龍さんが鶴田さんのパワーボムで失神負けした鶴龍対決(1989年4月20日)などはありましたが、変わらなかったです。余談ですけど、大阪の鶴龍対決を見に行った時に、リングサイドに円広志さんがいるのを見つけて。俺は芸人になりたてで、『あいさつに行ったほうがええんかな』とソワソワしたのを覚えてます(笑)。

 組まれるカードに変化があったのは、1995年1月17日の阪神・淡路大震災があってから。馬場さんが『関西の人を勇気づけたい』と考えてくれて、カードがよくなっていきました。それのあたりから、四天王プロレスの人気も爆発的なものになっていきましたね」

(連載9:ケンコバが憤ったグレート・ムタの「黒歴史」 無理やり化身対決にされた越中詩郎は「犠牲者です!」>>)

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