「龍原砲」がブッチャーの頭を蹴りまくり、T.N.T.も頑張った。ケンコバが興奮した1987年の全日本「ベストバウト」 (2ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

――"龍原砲"はどうでしたか?

「この年の3月に、長州力さんたちが新日本プロレスにUターンして、天龍さんが『全日本をなんとかしないといけない』と立ち上がって"天龍革命"を起こした。そこに原さんが共鳴してジャンボ鶴田さんに挑みました。その天龍革命以降の"龍原砲"を会場で見たのはこの試合が初めてでしたが、ものすごかったです。

 ブッチャーの頭を、『どれだけ蹴るんだ』っていうくらい容赦なく2人で蹴って、あまりの激しさにブッチャーもちょっと引いてました。ブッチャーは、『天龍に蹴られるのはまだわかるけど、阿修羅もやってくるか』と怒りを剥き出しにする感じで、原さんには引かなかったですね。ブッチャーがあれほど不機嫌になったのも珍しかった。俺はその天龍さんと原さんのえげつなさに『かっこええ』と胸をときめかせました」

――天龍革命以降、天龍さんの攻めはすさまじさを増しましたね。

「それもありますが、俺個人としては、天龍革命のすごさはダイナミックな受け身を始めたことなんちゃうかと思ってるんです。この試合ではなかったですけど、例えば天龍さんは、キックを受けた時にトップロープを超えて場外に落ちたこともありました。ある意味、むちゃくちゃな受け身で会場が盛り上がったんです。

 そんな天龍さん、それに共鳴した原さんの試合を初めて会場で体感して、『これが大スポが書いていた天龍革命か』と感動しました。地方会場でもまったく手抜きをしないで、『客席を沸かすのは俺らの仕事だ』というポリシーを目の当たりにしたのも、この大阪府立でのブッチャー&T.N.T.戦でしたね」

――それは忘れられない試合になりますね。

「あと、革命のあと天龍さんはチョップ、キック、延髄斬り、サンドウィッチラリアットなどで全国を沸かせてましたが、実はジャイアント馬場さんが得意としていたある技を復活させたんです」

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