「RIZINを食う!」新生K-1を背負う武尊とHIROYAの覚悟 (4ページ目)
かつてK-1甲子園で「魔裟斗二世」の異名を取ったHIROYA(右)。RIZINのリングで再浮上を誓う
「あの頃はなんていうんですかね。昔の思い出じゃないけど、自分にとっては高校時代を振り返って、あんなこともあったなというレベルなので、また今とは違いますね」
「魔裟斗二世」と呼ばれた輝かしき時代、HIROYAは紛れもなく次世代のスターとして期待されていた。タイ・バンコクのジムに住み込みながらインターナショナルハイスクールに通い始めると、第二のHIROYAを目指す日本人の少年たちが何人も現地に訪れたほどだ。
しかし旧K-1が活動を停止すると、HIROYAは行く手を阻まれた。2010年の試合数はわずかひとつ。時代の荒波がスター候補生を呑み込んだ。
「(自分は)いい状態なのに試合ができない。やりたいという思いが募りましたね」
その後は順風満帆とは言い難い。2011年からKrushを主戦場にし、昨年3月に-65㎏王座を奪取するも、初防衛に失敗して現在は丸腰だ。試合内容を評価されることはあっても、大一番で白星に結びつかない。新生K-1では今年4月19日、武尊とともにK-1の顔になりつつある木村“フィリップ”ミノルに1RKOで敗れた。「引退」の二文字が脳裏をかすめた。HIROYAは、それから3、4ヵ月は練習らしい練習をしなかったと打ち明ける。
「それまで試合のない時期だと78㎏くらいまで体重が増えていたけど、その時は逆に体重が減ってしまったんですよ。ストレスでそうなってしまったんですかね(苦笑)」
気を紛らすことができたのは、自ら代表を努める神奈川県相模原市のTry Hard Gymがあったからだろう。
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