【女子バレー】埼玉上尾メディックスの岩澤実育が語る「見えない目標」だった日本代表でのプレー
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(1)
埼玉上尾メディックス 岩澤実育 前編
【"世界"を相手に摑んだ自信】
バレーボール女子世界選手権(世界バレー)で、日本女子バレーは人気が再燃した。明るくひたむきで、弾むようにボールを追いかける姿は注目の的になった。最後までメダルを争い、結果を出したことも大きいが、チーム一丸となったプレーが好感を得た。
リベロの岩澤実育(25歳/埼玉上尾メディックス)は、それを象徴するひとりだった。チームを救うディグが光ったが、それだけではない。
日本代表でも活躍した埼玉上尾メディックスの岩澤実育 photo by Naoki Nishimura/AFLO SPORTこの記事に関連する写真を見る
「団長」
周りにそう呼ばれた彼女は、コートサイドで選手ごとに振りつけた応援をし、チームを活気づけた。底抜けの明るさと共闘精神が全体に伝播した。楽しそうな彼女たちの表情は前向きな闘志に変換され、その様子が大歓声を受け、開催国タイでは"日本コール"が巻き起こった。
3位決定戦に敗れたあと、多くの選手たちが無念の涙を流すなか、岩澤は泣かなかった。
「正直、私は泣けなくて......。個人的に、リリーフのレシーバーとしての起用だったので悔しい気持ちもありました。泣けるほどプレーしていないって。ブレイクしたり、レシーブを上げたり、もっと長くみんなとコートに立ちたかった。だから『泣きたくなかった』って言ったほうがいいのかな。来年、あそこで戦う機会が与えられたら、今度はコートでも一緒にみんなと戦いたい」
岩澤は口角を上げて言った。
その健全な野心こそ、彼女のバレー人生の核かもしれない。
「代表期間の4、5カ月(5月から9月)は、実りのある時間でしたね」
岩澤は言う。ネーションズリーグ(VNL)、世界バレーと準決勝に進出。感覚を磨いてきたディグは世界のスパイカーを相手にも通用した。
「ディフェンスはより自信を持てました。今まではディグが得意といっても、『海外の選手相手にもレシーブできるのか』って思っていて。実際に戦ってみて、反射神経や動きは十分通用するし、戦っていけると自信になりました」
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著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。



















































