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【女子バレー】埼玉上尾メディックスの岩澤実育が語る「見えない目標」だった日本代表でのプレー (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

"世界"との対戦を肌で感じた。「世界最高のスパイカー」と言われるブラジルのガビ(ガブリエラ・ギマラエスの愛称)は「一本上げたところに次は打ってこない。ひねったところに打ってくる」と興奮した。そのたび、自らも鍛えられる感覚があった。

 日本最高水準の選手たちとの切磋琢磨も、彼女を刺激した。

「(石川)真佑(下北沢成徳高校時代のひとつ下の年代)は、イタリアに行って引き出しが増えたなって。もともと体幹は強いけど、同時にメンタルも強くなった。レシーバーとして見た時も、『ここ』って思ったところから肩が入って、わかっていてもパワーやスピードで押し切られる。カンチャン(複数のプレーヤーがブロックに飛んで間が開いた状態)でも、ラインに出す、奥に出す、と読めない。一緒に練習して、自分もレベルアップする感覚がありました」

【"日本のリベロ"にもっと近づけたら】

 2008年の北京五輪、当時8歳だった岩澤は代表のリベロだった佐野優子に憧れたという。今回、確実に一歩、その姿に近づいた。

「佐野さんがいたから『リベロになりたい』って思いました」

 岩澤は言葉を紡いだ。

「でも、『代表を目指しています』と言っていても、実は現実味がなかったです。『本当に代表に入って試合に出られるの?』って。私は埼玉上尾に入っても5、6年はピンチサーバーで起用されていて、『ピンサーでしか出ていないのに、リベロで出られるわけなくない?』って。だから『代表を目指す』と言うのがきつくて、見えない目標に疲れてしまう時もありました。

 それが、やっと一歩前進。諦めずにやってきてよかったですし、佐野さんみたいにみんなに頼られる"日本のリベロ"にもっと近づけたらいいなと思っています!」

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